平成9年7月号

 梅雨が明け、寺の『さるすべり』の花も赤く咲き始め、いよいよ夏本番の季節となりました。ここのところ大きな事件やニュースがあり、すっかり影が薄くなって仕舞った臓器移植法が先月(平成9年6月)17日の午前に参院本会議で、午後には衆院本会議でそれぞれ賛成多数で可決されました。この臓器移植法とは「臓器移植の場合に限って脳死は人の死とする」というものです。



◆自分の脳死と愛する人の脳死では違う

 たとえば、ご自分の事で考えられた場合、事故等で『脳死』だと宣告されたとします。その時、臓器を必要とする人がいるならば、提供しても良いと考えている人は沢山おられるかと思います。又、元気な時に臓器提供の承諾書にサインをしておこうと言う人もおられるかと思います。それはとても尊い思いであります。しかしそのように自分自身の脳死は素直に認められ、臓器を提供しようと考えられたとしても、もし自分の愛する人が、医師から脳死だと宣告され、臓器の提供を願われた場合では、話が全然違って来ます。愛しいわが児や、愛するつれあいであったならば、たとえ『脳死』であると宣告されても、その人の蘇生を願い、命ある限り看病し続けたいと考えるのではないでしょうか。
 私はここで脳死は人の死か、否か、を論じようというのではありませんし、又決して否定するものではありません。私がここで言いたいのは、自分の脳死と愛する人の脳死では、その受とめ方が全然違うという事なんです。
 この世に生を受け、やがて死する定めを歩んでいる我々にとって、たとえ脳死だといわれても、愛する人のその死をできるだけ先に伸ばしたいと願っている人がいる事も又事実なんです。



◆死の受容

 又、愛する人の『死』を中々素直に受け入れられないのも事実なんです。私の父が死んだ時、友人から『朦中見舞(モウチュウミマイ)』と書かれた御見舞いを頂きました。後で友人に教えて貰ったのですが、『朦(もう)』という字には、物事が確かでなく、ぼんやりかすんで仕舞ってはっきりしないという意味があるんだそうです。父の場合、入院してその7時間後には死んで仕舞った訳ですから、私を含めた遺族にとっては、きつねにつままれたようで、父の死をにわかに信じられなかったんです。そこで、父が本当に死んだのか、あるいはまだ生きているのではないか、そんな朦昧(モウマイ)の霧の中にさまよっている我々に対して、そのお見舞いを下さったんだと教えられたのでした。
 そんな朦昧(モウマイ)の中で私は、四十九日忌、一周忌、三回忌と法要を勤めるにしたがって、徐々に自分の心の整理が出来たような気がします。又、私にとって大きかったのは今まで何気なく読み過ごして来た『キサー・ゴータミー』という尼さんのお話を読み返した時に、私は父の死を少しづつではありますが、受容する事が出来たような気がします。
 一般によく言われていますが、時が過ぎる事によって故人の事を徐々に忘れて行くという『日薬り(ひぐすり)』のオカゲだけではないような気がするんです。



◆愛するわが児の死

 それは、お釈迦様がまだ生きておられた時代、インドのコーサラという大きな国の都サーヴァッティーに住んでいた『ゴータミー』という若い娘の話なんです。彼女はやせていたのでキサー(やせた)という愛称で呼ばれ皆から可愛がられていました。彼女は年ごろになると、同じ町に住む青年と結婚し、可愛らしい男の児を授かったんです。男の児を生んでから益々ゴータミーは皆から大切にされるようになり、本当に幸せな日々を過ごしていました。
 でもゴータミーの幸せはそんなに長くは続きません。その児が歩きまわって遊ぶようになった頃、はやり病で突然死んでしまったんです。一番可愛らしい時に、その愛児が死んで仕舞ったのですから、ゴータミーの嘆き悲しみははかりようがありませんでした。気が顛倒した彼女は、その亡骸(なきがら)を両手に抱いて『この児に薬を下さい、この児の病気を治す薬を下さい』と言って町の一軒一軒を尋ね歩いたんです。しかしほとんどの家で『死んだ児に飲ませる薬などあるものか!』と、冷たくドアを閉められて仕舞うのでした。それでもゴータミーは必死でした。決してきらめずに『この児に薬を下さい、この児の病気を治す薬を下さい』と言って、既にミイラのように干からびはじめた我が児をしっかりと胸に抱いて一軒一軒尋ね歩いたといいます。すると、誰からともなく『ゴータミーは自分の愛する子供の死にショックを受けて、気が狂って仕舞ったに違いない』と言いはじめるんですね。その様子を哀れんだ町の長老がゴータミーに『今、町はずれの林の中で、インドの国ではじめて真実を悟られたお釈迦様というお方が、沢山のお弟子をつれてご修行をしておられる、もしかしたらそのお釈迦様がその児を治す薬について何か知っているかもしれない、行って尋ねるが良い』と教えるんです。



◆芥子の実一粒の真実

 藁(ワラ)にもすがりたい彼女は喜んでお釈迦様の所へ行って『この児に薬を下さい、この児の病気を治してくれる薬を下さい』と哀願するんです。そのゴータミーの胸に抱かれた児は、誰が見ても明らかに死んでおり、勿論お釈迦様の目にもそう見えた筈なのに、お釈迦様は『そんな死んだ子供に飲ませる薬などあるもんか』と我々のように冷たく言い放つのではなく、優しくこう言ったんです。『よく来たな、ゴータミー、待っていたよ』と言うです。お釈迦様にそのように言われただけでも、傷ついた我々の心は癒されて仕舞いますよね。そして、より具体的にお話しを続けられるのでした。『芥子の実一粒を煎じてその児に飲ませれば、その児の病気は治るだろう、しかしそれは今まで一度も死人を出した事のない家の芥子(けし)の実でなければいけない』と教えるんです。
 喜んだ彼女は、お釈迦様に教えられたように、サーヴァッティーの町を一軒一軒又尋ね歩くんです。『すみません、芥子の実をめぐんで下さい』と、するとその家の主人は気軽に、升いっぱいの芥子の実を持って来てくれたんです。『いえいえそんなに沢山は要らないんです芥子の実は一粒でいいんですから、ところでお聞きしますが、お宅では今までにお葬式を出した事がありますか?』と尋ねると、そこの主人は悲しそうに、『私の家では、去年私の妻を亡くしました』と言うのです。『それでは芥子の実を頂く訳には参りません』と丁寧にお断りして、次の家に行って同じように尋ねるんです。『何を言うですか、私の家では先月、子供をはやり病で死なせたばかりなんです。まだ四十九日忌も済んでないんですよ』と、そして次の家では『私の家では3年前に私を可愛がって呉れたおばあちやんを亡くしたんです』と、次の家もそして次の家も芥子の実は山ほどあるのに、幾ら捜しても今まで死人を出した事のない家などみつかりませんでした。
 皆さんの家ではどうですか?「私の家は分家なので先祖がいないんです。だから今までお葬式を出した事がないんです」なんて言わないで下さいね。我々は何も無い所から生まれた訳ではありません。私は私の父母があってこの世に生まれ、その父、母も又それぞれの父と母があって生まれて来ました。そのようにたどって行けば必ず、誰かが死んでおり、誰かのお葬式を出している筈なんです。



◆死に向かって歩む限りある命

 何軒か歩くうち、ゴータミーはお釈迦様が自分に何を教えようとしているのかがわかったのでした。そして彼女は胸に込みあげてくるものを押さえながら、町はずれの墓地へ行って、我が児の亡骸を優しく抱いて『愛(いと)しい児よ、私はお前一人だけが死んだのだと思ってとり乱した。でも死ぬことはこの世に生を受けた者の定めであり、そして死んだ者は決して生き返らないのだという事がやっとわかった』と言うのです。
 お釈迦様はこの世は苦しみであると教えています。その代表的なものとして、生、老、病、死という四つの苦しみを取り上げています。その中で『生まれる』という事を、その苦しみの最初に持って来られました。一般に赤ん坊が生まれる事は喜びであると思われています。ですから赤ちゃんが生まれれば誰でもが『おめでとう』と言って祝福します。でも本当はこの世に生まれた以上、我々は死に向かって歩んでいるんです。ですから我々の命がどんなに祝福されたものであっても、死に向かって歩む、相対的な命、死を背負った限りある命であるならば今のような生き方では苦しみであると我々に教えているのです。



◆真実の言葉は癒しの言葉になる

 私はこの『死ぬことはこの世に生を受けた者の定めであり、死んで仕舞った者は決して生き返らない』という単純明快な教えを読んだ時にドキッとしたんです。誰でもがこの真実の道理から逃れられないんですね。当時のインドに於いて、この世に存在する一番小さい物質だと考えられていた芥子の実のように、どんなに小さな事であっても、真実の道理を曲げたり、歪(ゆが)めたりする事は出来ないのだと教えられたのでした。我々はそのような真実の言葉に接した時に心が癒されるのかもしれません。
 そして彼女が我が児を墓場に手厚く埋葬してから、お釈迦様のもとに戻ると、お釈迦様は優しくこう尋ねられたんです『ゴータミーよ!芥子の実は手に入ったかね』と、ゴータミーは答えて『お釈迦様、もう芥子の実の必要はございません。町中どの家でも、今まで葬式を出した事がない家などありませんでした。そしてこの世に生まれた以上、死なない人など一人もいないこともわかりました。どうかお釈迦様!私をお弟子にして下さい』とお願いするのでした。
 彼女は出家を許され、その後「粗衣第一」と呼ばれるほどに、尊ばれる尼僧さんになったという事です。



◆埋葬すると言う事は

 私はこのお話を読んだ時、これは私自身の心もようであると思ったんです。我々は愛する者と死別する時、このゴータミーのように心の中で亡骸を抱き、助けを求め、そして薬を求めて、さまよい歩かねばならないのかもしれません。そして心の中にズウーと引きずって来た亡骸を、何時かは、お墓の中に埋葬する事が出来るようになると思うんです。逆にいえば、愛する人の『死』をチャンと受け入れられるようになるまでは、干からびたミイラの如き亡骸を引きずって、さまよい歩かねばならないのかもしれません。ですから我々は決してこのキサー・ゴータミーの行為を笑う訳にはまいりません。なぜなら、これは我々の心の中の出来事であるからなんです。
 仏教には他の宗教にはない、四十九日忌までの中陰の法要と一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌〜と続く年回の法要があります。勿論これは死んで行った故人への報恩感謝の供養であります。そして又これは我々自身の癒しの勤めでもあるようです。




◆あとがき◆

▼お施食会のお塔婆を閑居さんに手伝って貰い書いております。五尺の板に字をわりふりするのが難しく、余白が足りなくなって、施主さんの名前が小さくなって仕舞ったり、又裏に書く文字を表に書いて仕舞ったり、四苦八苦しております。

▼生後間もない、真っ黒なメスの迷いネコが、庭に住みついて仕舞いました。一番下の子供が保育園から帰って来ると、何処からともなく現れて食事のおねだりをしています。元来ネコが嫌いな私が帰って来ても寄り付こうともしません。『人の顔色を見ながら、反応するネコに餌なんかやるな!』と叱っても、子供は私のいない所で相変わらず飼をやっているようです。子供までが、人の顔色を見ながら、餌をやるようになって仕舞いました。結局この迷いネコの事に関して、私一人が蚊帳の外に居るようです。




このページの最初へ仏教は気付きの宗教メニューへ ぼさつ道目次