平成10年1月30日号

 『一年の計は元旦にあり』といわれています。禅宗の僧侶は、毎年正月二日に『遺偈(ユイゲ)』という辞世の漢詩を弟子達に書き残す習慣があります。それは自分が何時死んでも良いようにという禅家(ぜんげ)のたしなみでもあります。同じ様に、我々も、正月は自分の『死』をみつめ『いのち』について深く考える時節にしたいものです。
 私の場合は特に、元旦を『父親の死』を通して、自分自身の『いのち』そして『死』について考える日にしております。というのは、毎年、正月二日は、私の父親の祥月命日になるからなんです。
 以下の文章は、私の育った寺、市内大月町にある蜜蔵院が平成7年1月3日に発行した寺報『松龍』29号[蜜蔵院17世寿山良高大和尚追悼号]に寄せた拙文(せつぶん)『師父の教え』の抜粋(ばっすい)です。



◆三が日と師父の死

−(前半略)−
 しかし私にとりましてとても大きな転機がありました。それは昨年(平成6年)の 1月2日に私の親であり、私を坊さんとして育てゝ呉れたを亡くした事です。師父は12年間の本山(曹洞宗には福井県にある大本山永平寺と横浜市にある大本山総持寺の2つがあり、その大本山総持寺)での勤めも無事に終えて、これから自坊(じぼう)(自分の住職地)の蜜蔵院に帰って今までにやり残して来た事をやろうとしていた矢先の死でした。
 私が正月の元旦に、子供達を連れて師父の所へ『年賀の挨拶』に行った時にはとても元気で、孫たちにお年玉を呉れたりして、普段とちっとも変わらない様子でしたが、その夜、少し具合が悪くなり、次ぎの朝5時頃、病院に入院しました。普段から風邪ひとつ引いた事も、又これといった持病もなかったのですが、それから7時間後には亡くなって仕舞いました。それはあまりにも、呆気(あっけ)ない死でした。
 皆さん御存知の通り何処(どこ)のお寺でも、正月の三が日は非常に(いそが)しく、特に、ここでは三日の新年祝祷会(しゅくとうえ)(師僧寺の蜜蔵院では毎年この日沢山のお檀家さんか新年のご祈祷を受けに集まる)の準備でとても(あわ)ただしかったんです。ですから倒れた日が正月でなかったら、もっと師父の事を気遣(きづか)う事ができたのに、そして又そのような時に、高慢(こうまん)な考えであり、言い方になるかもしれませんが、入院した病院の受け入れ体制も三が日という事で手薄じゃなかったかと、()やまれてなりませんでした。
 私自身(いま)だ若輩であり、これから、教えて(もら)いたいと思う事が沢山あったのですが、もうそれも(かな)わない夢となって仕舞いました。全くきつねにつままれたというのが正直な思いでした。



◆花まつりと我が子の誕生

 今思い出せる、師父の教えがあります。それは今から10年前(昭和60年)の事、私達夫婦にとって最初の子供、長男が生まれた時の事です。この子は4月7日が誕生日なんです。お医者さんから言われた出産予定の日は4月の上旬頃だといわれていました。それなら4月8日が良いなと私達夫婦は少しばかり期待しておりました。
 何故なら4月8日はお釈迦さまのお誕生日だからなんです。昔からその日は『花まつり』とも呼ばれ、お釈迦さまの赤ちやんの御尊像(誕生仏)に甘茶を掛けて、そのお誕生をお祝いする日なんです。ですから私はこれから生まれる我が子に対して『お釈迦さまのお生まれになった4月8日に生まれ、お釈迦さまと共に、この世に生命(いのち)を受けた事を喜び、そしてお釈迦さまに支えられて、成長して行って呉れたらなぁ』という親としての淡い(ねが)いがあった訳なんです。
 それが4月7日の午後になると妻の陣痛の間隔が急に狭くなり、直ぐ病院に入院しました。私も当時流行していたラマーズ法で出産に立ち会うつもりだったのですが、その日のうちにどうしても済ませなければならない用事があったので、私は妻に「もう少しだから、ガンバレよ!もう少しガンバレぱ、4月8日だから!」と励まし、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にしたのでした。しかし、その夜のうちに、つまりお釈迦さまの誕生日(花まつり)の前の日に、長男は生まれて仕舞ったんです。私はほんの少しガッカリしました。



生死(しょうじ)は仏の(おん)いのちなり

 お七夜で師父の所へ行き、そのような事を話した時、師父は「お釈迦さまでさえも、4月8日に、この世に生まれようとして、生まれて来たんじやないんだよ」(やさ)しく(さと)して呉れたのでした。その時私はハッ! と気付かされたんです。「この私自身でさえ、授かりものであった」と言う事に、そして道元禅の言われる『この生死はすなはち仏の御いのちなり』とは、まさに、その事であったのかと、教 えられたのでした。
 この世に生き死にするという事は、全く私の思わく以前の事であり、又このたった今の命でさえ私のものではなく、すべてがイタダキモノであったのでした。『お釈迦さまも4月8日にこの世に生まれようとして生まれたのではない』という一言によって、又師父自身が忙しい正月の三が日に亡くなったという、大きな代償によって、ホンの少し解らせて(もら)ったのです。
−(後半略)−



寿命(じゅみょう)とは

 法句経に『人の(せい)を受くるは(かた)く、やがて死すべき今、生命(いのち)あるは()(かた)し』とあります。本当に私のいのちが今有る事は、難しであり、無条件に『ありがとう』なんです。
 我々は良く寿命という言葉を使います。「寿命だから、諦めろよ!」「寿命だと思って諦めなさい!」等、どちらかというと、それは後ろ向きの意味合いで使われているような気が致します。しかし寿命の『寿』という字は、命を寿ぐ(ことほぐ)事であり、今あるこのイタダキモノの命をめで、感謝して生きる生き方であると私は思っています。
 先週あるご縁を頂いて『(がん)患者の語り合う(つど)い』に参加して参りました。その参加者の中のMさんという女性の明るい表情と澄んだ瞳が、とても印象に残っているんです。彼女は「10年前に乳ガンになり、去年になって、もう一方の乳房も、ガンに侵され、その切除手術をした時、ガン細胞が他の組織にも転移している事がわかったんです」と屈託(くったく)なく言うのでした。どうしてそんなに明るくしていられるのか?と不思議に思って尋ねてみると、最初の手術の時には「煙草(たばこ)は勿論、食事にも気を付けて来た私が、どうして癌に(かか)らなければならないのか?どう見ても私より、いい加減で、適当な生活をしている人が、何故(なぜ)癌にも罹らず健康でいるのか?そして今までどんなに神や仏を(のろ)い、他人を(うら)む自分と葛藤(かっとう)して来た事か?」と
 でも今回再手術をしてからは「他人(ひと)他人(ひと)であり、自分は自分、他人(ひと)と比べて見てもしょうがない事だという事に気が付いたんです。そして私が子供達や、年老いた親達の食事やその他の面倒をみなけばならないんです。ですから、そんな日常生活に追われて、くよくよ考える暇がないんです。それよりも私は、今ある命を、精一杯生きようと思うようにしたんです。そして私と同じように苦しんでいる人に、私の今の気持ちを話したいと思ってこの集いに参加しているんです。」と語って呉れました。私はその話を聞き、とても感動して帰って来たのでした。



◆死を見つめる生き方

 太田蜀山人(しょくさんじん)『死ぬことは、他人(ひと)のことじゃと、思いしが、私のことじゃ、こりやたまらん』と言っています。
 我々は他人(ひと)の『死』は考えられても、我々自身の『死』についてあまり考えず見つめないように、(ふた)をして仕舞っているようです。
 大学時代からの恩師酒井得元老師は「紙屋へ行って『俺は紙の表しか使わないから、裏はいらない、紙の表だけを売って呉れないか?』と言っても『そんな紙があるか?』と紙屋に叱られるのがおちだ!」とよく話しておられました。表と裏があって、初めて一枚の紙であるように、生と死があって初めて作り物ではない『いのち』あるもの、そしてみずみずしく生きているものと言えそうです。ところが我々は『生』を中心とした生存競争にばかり、目が奪われ、自分の『死』について考える事を、拒否して仕舞っているような気がします。
 そんな我々に対して道元禅師は『この生死はすなはち仏の御いのちなり。これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり』と、それは『死』を見つめる事を(いと)う者は、仏の(おん)いのちを失って仕舞い、自分の人生を本当に充実させて生きる事が出来ないんだと、教えておられるのでした。


雨やどり



 ある家に、ひとりの美しい女性が、着飾って尋ねてきた。その家の主人が『どなたでしょうか』と尋ねると、その女は『私は人に富を与える福の神である』と答えた。主人は喜んで、その女を家に上げ、手厚くもてなした。
 すると、すぐその後から、粗末な身なりをした醜い女性が入ってきた。主人が『誰れであるか』と、尋ねると『貧乏神である』と答えた。主人は驚いてその女性を追い出そうとすると、女性は『先ほどの福の神は私の姉です。私達、姉妹はいつも離れたことはないのです。だから私を追い出せば、姉もこの家から去って仕舞います』と主人に告げ、彼女がいなくなると、やはり美しい福の神の姿も消えうせた。
 生があれば死があり、幸いがあれば災いがある。善いことがあれば悪いことがある。人はこのことを知らなければならない。愚かな者は、ただいたずらに、災いをきらって幸いだけを求めるが、道を求めるものは、この二つを、ともに超えて、そのいずれにも執着してはならない。

(仏教伝道協会訳、仏教聖典より)



◆あとがき◆

 ◎暖冬といいながら、今年(平成10年)は何度も雪が降ります。前の庭には一週間前に降った雪が、まだ解けないで残っているのに、今年3度目の雪が降り始めています(1月15日)根がものぐさな私は、どうせ2・3日のうちに、朝日に当たって自然に解けるだろうと思い、自分の歩く所だけしか除雪しませんでした。しかしくるまのタイヤで何度も圧縮された雪はカッチーン、カッチーンに凍り付いて仕舞いました。そして今度の雪です。降った時にチヤンと除雪しおけば良かったのにと、今更()やんでも手の施しようがありません。『後悔先に立たず』です。




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