平成10年11月20日号

 12月8日はお釈迦さまがお悟りをひらかれた成道の日です。古来、禅寺では12月1日より8日までの一週間、坐禪をするならわしがあり、この長昌寺でも坐禪をしております。今回は、その坐禪についてお話しをさせて頂きます。
 坐禪をしておりますと、色々な思いが、次から次へと浮んで参ります。ある人が『坐禪をしてると、普段の生活よりも、もっとたくさんの思いが浮んで来るんですね』と言っていましたが、全くその通りだと思います。しかし我々は日常の生活では、中々その事に気付けないでいます。我々の普段の生活は、次から次へと頭に浮んで来た思いを一つ一つ捕まえて組み立て、それを実現しようとする事によって成り立っています。
 そして自分の思い描いた通りに実現出来た時、我々は満足し、逆に自分の思い通りに行かなかった時、我々は深く悲しみ、失望を致します。良い悪いは別としてこれが我々の日常生活であります。この満足と失望の間を行き来する事を仏教では六道輪廻(ロクドウリンネ)と言います。六道とはお寺の入口にある六地蔵様で皆さんも良く御存知かと思いますが、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という我々人間の六つの生き方であり、そして、我々の心の中で繰り返している心象風景でもあります。
 我々は『悟り』に関しても、日常生活と同じように、自分の頭で思い描いた理想が、叶えられた時を『悟り』と思いがちですが、道元禅師はそのような我々に対して『かねてより、悟りとは、かくこそあらめと、おもはるることはなきなり、(自分なりに、悟りとは、このようなものであろうと(頭で考え)予測する事など出来ないのだ)(正法眼蔵唯仏与仏)』と戒めておられます。又、江戸時代の宗学者、天桂伝尊は『我々の考えているような悟りは、まるで夢の中で饅頭を食べているようなものであり、又迷いは夢の中で、毒蛇に噛まれたようなもので、朝、目が覚めてみれば何でもない事だ』と教導しています。ですから六道輪廻する日常生活の延長線上に『悟り』があるのではなかったのでした。
 そこで坐禪ではこの頭に浮んで来た思いを一つ一つ捕まえ組み立て、実現しようとする日常生活を、つまり『自分が』或いは『おれが』という思いをやめる事であります。具体的に言えば、次から次へと浮ぶ思いは取り合わず、追い掛けず、そのままに放っておく事であります。その浮かんで来る思いは、あたかも朝の日の出とともに消える霧や草の上の露のような存在なんです。



◆『生命』の不思議

 最近上演され、好評だった映画『愛を乞う人』を演じた女優原田美枝子さんは、朝起きたら必ず、坐禪をすると言います。彼女がそのように坐禪に興味を持つようになったのは、自分が妊娠してからだそうです。自分は食べて寝て、寝て食べてという只それだけの生活を繰り返しているのに、おなかの中のチッチヤな『生命』は、日増しに大きくなり、成長して行くのを知り、それまで自分で生きていたつもりが実は生かされていたんだと、教えられたからだといいます。そんな『生命』の不思議に目覚めたのを機会に坐禪をするようになったそうです。
 仏教では無我と教えます。無我とは一般に『無我になってやってみろ!』等というように『自分を忘れて夢中になる』という意味で使われていますが、仏教でいう無我の意味は、誰でもが自分で生きているのではなく、すべてほとけの恵みの中に生かされているという事なんです。実は次から次へ浮んでくるこの思いも、自分でやっているのではなく、ほとけの恵みなんです。
 我々は今空気を吸って生きています。この空気がなければ一時(いっとき)だって生きて行けません。この空気の出し入れは呼吸の働きを通して行われています。その呼吸は我々が夜寝ている時でも、お喋りをしている時でも、又食事をしている時でも、意識しなくてもチヤンと行われているのです。そのように我々の呼吸は私という個人を超えてなされているのです。



◆自と他の仕切り

 又この空気は私という思いを離れ、外との仕切りを設けず、自由に出入りしているのです。そうなれば何処までが私であり、何処までが他人であり、或いは外界であるのか?よく分かりませんね。かってテレビで『人間のカラダの70%は水で出来ています。ですからあなたが汚した水は、いつかあなたのカラダを汚す事になります』というセンセーショナルなコマーシャルがありました。それは我々が汚した水は、必ず私自身の身に降りかかって来るという事であり、我々はこの大自然と切り離す事の出来ない、一つにつながった生命を生きているという事であります。
 道元禅師は、自分にもそして他人にもそれぞれ『己』(おのれ)という字を付け自己(じこ)といい、他己(たこ)というのでした。我々の『知識』『分別』の上からは自分と他人、或いは大自然との間に仕切りを付ける事か出来たとしても、我々の呼吸や水を通した『生命』の上からは、自分と他人、或いは自分と大自然との間に仕切りを付ける事が出来ないんです。
 私がいつもお話しする『人間のものさし』で見れば自と他・私と外界という仕切りが出来たとしても『生命』という地盤である『仏のものさし』から見れば自と他・私と外界という仕切りを付ける事が出来ないんです。しかし我々の日常の生活では、その事に全く気が付かないでいるのでした。或いは気付かないでこの人生を終えて仕舞うかもしれません。そのように気付く、気付かないに関わらず、我々が大自然と一つにつながり合った『生命』を生きている事だけは事実のようです。道元禅師はその『生命』の事を朕兆已前(チンチョウイゼン)とか父母未生以前の自己と言います。それはもののきざしの現れる以前の、或いは我が父や母の生まれる以前の本来の自己という意味なんです。
 しかし我々は『自分さえ良ければ』とか『自分を他より良く見せたい』『俺こそは〜』という思いによって自と他・私と外界とに区切りを付け、一つにつながり合った『生命』から離れよう!離れようとしているようです。このように本来、自と他・私と外界と分ける事が出来ない『生命』から、離れようと努力をする事を仏教ではといい、そこから切り離されたものを自我といいます。我々の日常生活はそこから切り離された後の事であります。逆に切り離さず、生命の地盤へ立ち返ろうとする事を修行といいます。ですから坐禪は修行でもあり、悟りでもあるといえる訳で、道元禅師は、坐禪の事を身心脱落(シンジンダッラク)といい、坐禪そのものが『仏様の行である』と教えています。切り離す事をやめ、六道輪廻を止めた時、我々は仏の世界に、安らぎの世界に帰って行くというのが、我が道元禅師の教える坐禪です。



◆請求書と領収書

 ですから坐禪は、この大自然と一つにつながりあった『生』に常に立ちるというので帰命の行であり、又報恩感謝の行でもあると言えます。そしてすべてが仏の恵みの中に生かされていたんだと気付いた時の言葉を『おかげさん』というのでした。そこで越後の良寛さまは『おらがおらがの「が」を捨て、おかげおかげの「げ」で生きよ』と我々に教えています。
 ある人が『仏さまを拝むと言う事は、この私自身を確かに頂きましたという領収書である』と言われ、びっくりした事がありました。領収書とは、間違いなくそのものを受け取りましたという証明書であります。 私が何故びっくりしたのかと言いますと『仏さまを拝む』或いは『仏教を信仰する』という事は、今の現状を否定して『どうか私に〜を下さい』『〜を頂戴!』と、仏さまに対してお願いし、おねだりの請求書を出す事であり、そしてそれを叶えてくれるものを霊験あらたかな仏さまだと思っていたからです。確かに、そのような事も少なからずあろうかと思いますが、それよりももっと大切な事は、まず『私自身を、確かに受け取りました』という領収書を出す事が、或いは言葉を変えて言えば『ありがとう』『おかげさんで』という領収書が出せる事だと教えられたのでした。
 言葉では中々ご理解頂けないかと思います。是非この機会に坐禪をして頂きたいと思います。我々か今一番必要なのは、この大自然と一つにつながった『生命』にまず立ち帰り、そこからこの日常生活を見直しながら生きて行く事であろうかと思います。今日のように先行きが見えない混迷の時代にあって、すっかりすさんでしまった人間の心が癒せるのは、この道元禅師の教える坐禪しかないのですから。


雨やどり


生死

−内山興正老師の詩−

     手桶(ておけ)に水を()むことによって、水が生じたのではない
     天地一杯の水が、手桶(ておけ)()みとられたのだ

     手桶(ておけ)の水を、大地に()いてしまったからといって
          水がなくなったのではない
     天地一杯の水が、天地一杯のなかにばら()かれたのだ

     人は生まれることによって、生命を生じたのではない
     天地一杯の生命が、私という思い固めのなかに
          ()みとられたのである

     人は死ぬことによって、生命がなくなるのではない
     天地一杯の生命が、私という思い固めから
          天地一杯のなかにばら()かれるのだ。



◆あとがき◆

▼江戸時代、旗本桑山氏の知行地であった足利に於いて名主を勤めた旧家、阿部幸造家に残された2,600点を超える膨大な古文書史料(ほとんどが手紙類)を解読する集いが『大月手紙の会』として大月町蜜蔵院(住職の師僧寺)の書院に於いて月一度催され、私も何度か参加した事があります。そこで読み進めて来た古文書をこの度『阿部幸造家文書目録』と題し発行されました。これは江戸期における足利近在の様子をうかがい知る貴重な史料であり、特に私の興味を引いたのは慶応3年1月7日の日付 のある史料番号1728で、これは大月村名主兼帯阿部縫殿之介より梁田郡高松村名主藤右衛門宛に出された書状で、その内容は大月村から当地高松村へ養子に来た者の由緒差し送り状です。今から130年も昔にも、私と同じように大月よりこの高松へやって来た人がいたのかと、とてもいとおしく感じました。




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