平成11年3月1日号

『暑さ寒さも彼岸まで』と昔からいわれています。春と秋のお彼岸は、ちょうど昼と夜の長さが同じになり、冬から春へ、夏から秋への変わり目で、寒さも、暑さも和らぐ過ごしやすい季節になります。とくに春のお彼岸は、野に、山に春の芽吹きを感じる時季でもあります。こんな、お彼岸の時にこそ、亡き人や遠いご先祖さまを偲びつつ、日常生活に埋没している今の自分を振り返り、自分自身を見つめなおす機会にしたいものです。



◆数え年と満年齢

 『亡くなった人の年齢は「数え年」の方が良いのか?或いは「満年齢」の方が良いのか?どちらが良いのでしょうか?』と良く尋ねられます。
 ひと昔前までは大晦日の鐘をゴーンと聞き、新しい年を迎えると『一つ年をとったなあ!』と思ったものです。小学校へ入学するにも、6つであがったとか、7つであがったとかいいました。
  しかし今では「数え年」であまり数えなくなり、ほとんど「満年齢」で数えるようになりました。それは役所の書類等、事務手続きが「満年齢」になって仕舞った事も起因しているようです。ですからお寺でも最近は、一般社会の通念に従い、間違いのないように「満年齢」を使うようになりました。
  しかし「満年齢」ですと、お母さんのお腹の中にイノチが宿り、出産されるまでの十月十日(とつきとうか)の妊娠期間が加算されていません。そうなれば「数え年」の方が、我々のイノチの数え方としては親しいのかもしれません。



◆四十億年はるかな旅

 皆さんの中にも、ご覧になった人がいたかと思いますが、一昨年(平成9年)NHKテレビで『40億年はるかな旅』という特集番組が8回にわたり放送されました。この番組は地球にイノチが誕生し、人類に至るまでの40億年という長いイノチの旅を、コンピューターグラッフイックスを駆使し、我々素人にも分かり易く解説したものです。
 まず細胞という小さなイノチに進化するまで約20億年、そして小さな動物へ進化するのに、それから約10億年がかかり、それから数億年して、背骨のあるサカナヘ進化し、そのサカナが両生類を通して海から川へ、そして陸に上がったのが今から約3億6,000万年前といわれています。爬虫類の仲間であろう恐竜に進化したのは今から約2億2,000万年前、そして我々の祖先である猿へと進化をしたというのです。そのように気の遠くなるような時間をかけて、今の人類にまで進化したのでした。
 実は我々が『40億年はるかな旅』をして来た証拠があるのです。それは母親の胎内にいる十月十日(とつきとうか)の間に、この『40億年はるかな旅』をして来るのです。
 受精すると、まず小さなイノチの細胞分裂が始まり、次にサカナのような形になり両生類、爬虫類、哺乳類、それぞれの特徴ある形をたどり、最終的に、お猿さんのように真っ赤な顔をして生まれて来るのでした。
 ですから我々のイノチは40億年と言っても、誤りではなさそうです。たとえ亡くなった人を「満年齢」で数えても、位牌の正面に(くう)』という字を書き入れる事によって「満年齢」や「数え年」で は、言い尽くす事の出来ない40億年という我々のイノチの流れを、表現するのでした。



◆本当の奇蹟とは

 そして不思議なことに、数知れないイノチが一回も途切れる事なく、40億年という長い間、連続していたという事です。もし佐渡ケ島の『トキ』のように、一度でも私につながる一本の道が死に絶えて仕舞ったら、当然ながら、今の私は存在しなかったのでした。
 又視点を変えて言えば、私は父母という2人の親から生まれ、その2人の親は4人の親、つまり私の祖父母から生まれ、その祖父母は、8人の親から生まれ、その8人の私の曾祖父母は16人の親から生まれ、そのように順々に10代逆上って行きますと、1, 024人の親が存在し、20代逆上ると、1,048,576人の親が存在します。
 そのようにどんどん逆上れば、それこそ数限りないご先祖さまがおり、それによって今の私が存在しているのでした。又その数限りないご先祖さまのたった一人が欠けても、今の私の存在はありえないのでした。
 今私がこの世に存在するという事は奇蹟であり摩訶不思議であるとしか言いようがないのでした。奇蹟とか摩詞不思議な事とは決して『超能力』とかによってスプーンを曲げたり、空中浮遊する事ではなく、数限りないご先祖さまが誰一人も欠けずに、そして40億年という長いイノチの流れが一度も途切れることなく、この私にまでつながって来たという事実の事であります。そのようなイノチのつながりをご先祖さまというのでした。でもこの事実は、我々にあまり実感出来ず、ピーンと来ないために『奇蹟だなぁ、不思議だなぁ』と改めて思えないのでした。



◆私一人の生き方によって

 実はそんなご先祖さまから私は願われてこの世に生まれて来たのであり、又私一人の為に、数知れない大勢のご先祖さまが居たんだといっても過言ではないのでした。ですから私は数知れない多くのご先祖さまが支えるビラミッドの頂点に、立っているのと同じ事になります。
 動物は動物の生き方しか出来ませんからそれで良いのですが、我々人間にはどのような生き方でも出来るのでした。たとえば自己中心的な地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道輪廻の生き方も出来れば、ぼさつのように私を支えてくれる多くの人に感謝し、毎日を生きる事も出来るのです。
 道元禅師は『わずかに一人一時の坐禪なりといえども、諸法とあひ(めい)し、諸時とまどかに通ずる がゆゑに・・・三業(さんごう)仏印(ぶっちん)(ひょう)し、三昧(ざんまい)端坐(たんざ)するとき、遍法界(へんほっかい)みな仏印となり、盡虚空(じんこくう)ことごとくさとリとなる』と坐禪の大切さを折に触れ我々に教えています。その意味する所は、ほんの少しでも人に感謝する心で生きたなら、私につらなるすべてのものは、心が安らぐ事が出来るというのです。ですから生き方を自由に決められる我々の責任は、とても重大になってまいります。
 お彼岸のお墓まいりには、亡き人を偲び、私を支えて下さる多くのご先祖様に対し、心静かに手を合わせ、今までの自分の生き方を素直に振り返る、そんな時節にしたいものです。




◆あとがき◆

▼『迎えの鐘』と呼ばれ、檀家の皆さんに親しまれて来た長昌寺の鐘も、最近撞くとミシミシと音をたてたり、屋根ガワラが落ちて来たりと痛んで来ました。昨年の護持会の総会で、既に承認を得ている鐘楼堂の建て替え工事を行うにあたり、(平成11年)1月20日10時より解体のご供養を行い、22日には業者による解体工事が行われました。
引き続き(平成11年)2月9日には業者による鐘楼堂の『水盛り』の作業が行われました。今回の建て替え工事では、土台をそのまま使う事になっております。これは今から66年前の昭和8年という大変社会情勢のきびしい時期に作られたものです。今回建てられる鐘楼堂の柱の位置が、今までのものと少しずれるので、クツ石の基礎工事の為に、土を堀り返してみた所、回りを囲んでいる枠組みは大変厚くて、丈夫なものだという事が判りました。『後人にしっかりしたものを残そう』という先人達の深い思いやりと、苦労の跡がしのばれ感謝の念をあらたにしました。
春の護持会総会の頃には檜の匂いのする新しい鐘楼堂が完成する予定です。

▼去年は雪が何度も降り、車のタイヤチェーンの着脱にとまどり、待ち合わせの時間に遅刻したりして、大変悩まされました。そこで今年は雪道でも、又氷りついた道でさえも滑らないというスタッドレスタイヤを車に履かせています。それなのに一向に雪が降らず、タイヤばかりがどんどんすり減って行きます。去年あれ程、雪をうらめしく思ったのに、今年は、逆に雲一つない冬の空を、うらめしく思って仕舞うのです。人間って本当に自分勝手ですよね(私だけがそんな事を思うのかもしれませんが‥‥‥)。
スタッドレスタイヤを履いただけでも、去年と今年の私では、ものを見る視点が全く違って仕舞うように人間がそれぞれの立場や業によって主張し合ったら、本当にこの世は思いやりのない修羅場になって仕舞うような気がします。



このページの最初へ仏教は気付きの宗教メニューへ ぼさつ道目次