平成11年7月15日号

 庭のボダイジュの黄色いチッチヤな花や、アジサイの紫色の花が雨に濡れて美しく咲き、新しくなった鐘楼堂も、そんな中にとけ込むように静かにたたずんでいます。



◆達磨大師の教え

 これは仏法をインドから中国へ初めて伝えられた達磨大師の子供時代のお話しです。達磨大師とは、あの縁起物の『ダルマさん』のモデルとして、この世に実在された方です。坐禅ばかりしていたので、手足を描かない今のような『ダルマさん』の姿として、どんな苦難に出会っても七転び八起きで、必ず起き上がる様子から皆さんに親しまれるようになりました。
 その達磨大師は南インドの香至国の第三王子としてお生まれになり、父親の香至国王は大変仏教を崇(あが)め重んじておりました。ある日の事、当時インドの仏教指導者であり、父親の国王が最も尊敬をしている般若多羅尊者を宮殿にお招きして御説教をして頂きました。そのお禮に、国王は値段がつけられないほど高価な宝珠(宝石)を般若多羅尊者に差し上げられたのでした。
 その時国王には、月浄多羅、功徳多羅、菩提多羅(後の達磨大師)という三人の王子がいました。そこで般若多羅尊者は王子達の智慧を試(ため)そうとして、その宝珠(宝石)を見せながら『この世の中で、この宝珠(宝石)よりも勝れたものがあるかどうか』と質問をしました。
 すると第一王子と第二王子の二人は『この宝珠は、七宝(あらゆる宝石)の中で一番尊いものです。これにまさる物は他にありません。尊者のように勝れたお方にこそふさわしい持ち物です』と答えられました。
 しかし第三王子の菩提多羅(後の達磨大師)は『この宝珠がどれ程すばらしいと言っても、所詮は世の中の宝にすぎません。本当の上等の宝ではありません‥‥‥云々』と答えられたのでした。これをお聞きになった般若多羅尊者は、菩提多羅(後の達磨大師)のただならぬ法器を知り、さっそく自分のお弟子にされ『私が死んだら、未だ真実の仏法が伝わっていない中国へ行って真実の仏法を伝えるように』と、 厳命されるのでした。以上が達磨大師が出家された因縁です。
 値段が付けられないほど高価な宝珠(宝石)に対し、私も、第一王子や第二王子と同じように『この宝珠より勝れたものはなく、この世の中で一番尊いものである』と思って仕舞うのですが、どうして達磨大師だけは『この宝珠がどれほど素晴らしいと言っても、決して真実の宝ではなく。所詮世の宝でしかない』と言われたのでしょうか。



◆変動相場制

 ところで物の値段がどのようにして決まるのかといえば、その物を欲しがる人が多ければ多いほど値段は高くなり、逆に誰も欲しがらなければ二束三文の値段しか付けられません。そのように需要と供給のバランスで世の中の物の値段が決められるんですね。
 これは今から二百年以上も昔の出来事です。新大陸のアメリカ西部で砂金が出るという噂を聞き、誰も彼もが幌馬車を仕立て、未開の砂漠地帯へと砂金を探しに行ったのでした。
 何の本で読んだのか、或いはテレビで見たのか、今では忘れて仕舞いましたが、砂漠で一人の男が砂金を集めていました。やっと砂金が小さな袋一つに集まったので、町の銀行でドル紙幣と交換して貰おうと思い、歩いていると、疲れが出て来たのか帰る道が分からなくなって仕舞ったのでした。容赦なく照りつける砂漠の暑さと、喉の渇きで持っていた水筒の水も全部飲んで仕舞い、フラフラになって歩いていると、たまたま出会えた人に、自分が命がけで集めた砂金と、その人が持っていた全く同量の水とを交換するという場面がありました。
 その時私は、必死で集めた砂金と、全く同量の水をどうして交換して仕舞うんだろうかと、不思議に思ったのですが、今になれば、そういう事もあるだろうなと思えるようになったのでした。
『一升(ヒトマス)の砂金よりも、一升(ヒトマス)の豆の方がその本質性においては尊い』という中国の諺(ことわざ)があるそうです。確かに砂金があれば何でも買えて便利なようです。しかし砂金それ自体にはイノチがなく、時と場合によってその価値が変化して仕舞うものでした。ですから達磨大師が言うように所詮は『世の宝物』でしかなかったのかもしれません。
 勿論、我々がこの世に生きているかぎり『世の宝物』は必要であり、決して不必要な物だとも思いません。ただ『世の宝物』にばかりに執着し、それ以外に真実の宝があることを知らない我々に対して達磨大師は『どれほど高価な物であっても、条件によってその価値が変動してしまう浮世の宝物であって、決して真実の宝物ではない』と教えられるのでした。
 しかし我々は長い間その変化して仕舞う、人間が作り出したものを何よりも崇拝し、愛して来たようです。旧約聖書には『偶像崇拝をするな!』とあります、ここでいう『偶像』とは人間が作り出した肩書や地位等を含めた『世の宝物』でありましょう。我々はこれさえ手に入れゝば幸せになれるんだと硬 く信じて来た『世の宝物』に今まで何度も何度も裏切られて来ました。今日のようにバブルがはじけ、土地神話も、そして絶対倒産しないと言われていた銀行神話も何だか怪しくなって参りました。



◆良寛さんの形見(かたみ)

 死期の近づいた事を悟った越後の良寛さんは、お世話になった多くの人達に形見の手紙を送られました。
 我々が考えられる形見と言えば、土地や建物、有価証券、現金等を思い浮かべる訳ですが、良寛さんの形見はそのようなものではなく、一枚の和紙に
      『形見とて 何を残きん 春は花
          山ホトトギス 秋はもみぢ葉』
という和歌が一首したためられてあっただけでした。
 その意味は『皆さんが考えているような形見等私には何もありません、ただ春になれば冬の寒さに耐えた木々や草が、色とりどりの美しい花を咲かせ、夏になると山のホトトギスが鳴き、秋には樹々の葉が美しく紅葉する。これ以外に私の形見等ありません』というものでした。
 良寛さんの形見は色々な条件によってその価値が変化して行く変動相場のものではなく、決して我々を裏切らないこの大自然そのものだったのでした。それを知る友人や、知人達はこの形見の和歌を頂いて皆涙を流されたと伝えられています。


雨やどり

東京都葛飾区 曽利真一塾教師 33歳

仏さまの説法

昭和55年9月24日朝日新聞夕刊より

 われわれの日常生活の中で、仏さまは限りなく説法をしている。それを受けとる心のアンテナをたえず張りめぐらせておくことが仏道修行には大切だ---そう教えていただいている。車いすを使う私は在家の仏道修行者と自覚し始めて間がないが、仏さまの説法はなんだろうと気を付けていると、新鮮な驚きと喜びが多い。
 先日、障害者センターに脳性マヒの知人をたずねた。彼が訓練中というので、ロビーで待った。すぐそばに冷水飲み場があり、車いすの人のためか、茶碗が置いてある。私もそれで水を飲んだ。その茶碗はふちが欠けて、きたなかった。私は十分にすすいで飲み、もとのようにふせた。
 しかし、私のあとから来た若い女の人は、すすぎもしないで水を飲んだあと、ていねいに何度も茶碗を洗っていた。
 それをみて、仏さまの説法だと思った。私は前の人がすすいでないと思って自分のためによく洗い、その女性は次の人のために洗い清めている。自分が恥ずかしくなった。普通の女の人だったのに、まぶしいはど美しく見えた。
 人さまを信じて生きるには、まず自分の行動が自分で信じられるものでなければいけないと教えて頂いたと思った。

▼この『仏さまの説法』は、師父の死後、その書類を整理していたら、ノートの間から出て来た新聞の切り抜きです。それには、赤いボールペンで、見慣れた几帳面な字で『神奈川朝日/昭和55・9/24夕刊』と書いてありました。それは丁度、師父が横浜市鶴見区にある曹洞宗の大本山総持寺に再安居(修行)していた時期のものだと思われます。これを読んで、心を動かされるものがあって、ハサミで切り抜き、ノートの間にしまったのかと思うと、私も感慨ひとしおであり、師父の形見のような気が致しております。



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