平成17年1月30日

 今から10年前、改歳の行事も済みやらぬ1月17日は、連休明けの火曜日で、とても静かな朝でした。朝のおつとめの為、ロ−ソクに火をともそうとしていた時、本堂に吊してある幢幡[幢幡とは本堂の四隅に天井から吊るされているきらびやかな飾りの事です]が音も無く静かに、そして大きく揺れているのに気が付きました。床板は少しも揺れず、只幢幡のみが揺れているのです。季節は寒の真只中、まだ本堂の正面の扉は開け放っておりませんから、風の仕業でない事だけはすぐに判りました。
 朝のおつとめを済ませ、居間に帰って妻や家族に聞いてみても誰も揺れを感じなかったという、ただ本堂にいた私だけが幢幡を通じて揺れを感じたのでした。不思議に思いつつテレビのニュースを見るとNHK阪神支局備え付けのTVカメラがとらえた地震直後の生々しい様子を映し出しておりました。


 時間の経過とともにその被害の全容が明らかになり、只その甚大さに驚くばかり、死者は優に6,000人を超え、負傷者は20,000人以上であると、それは阪神・淡路を襲った未曾有の大震災でした。我々が朝のおつとめの読経で、世界が平和で穏やかであるようにと、そして地震等の大きな災いが起こらぬようにと「国土の安穏」そして「国土の三災、永く消せんことを」と御祈願をしているまさにその時、いったい何人の人達があの瓦礫の下で、痛さに呻き、恐怖に戦いていたのか?そして迫り来る猛火の中で最愛の夫を、又あるものは妻を、そして我が子を、助け出す事が出来ないという、生き地獄の辛苦を味わっていたのか?それを思う時、改めて自分の非力を感じ、そして人間の弱さ、限界を知らされたのでした。淡路の震源地から直線で測っても450Km以上も離れたこの地へ、あの揺れは何をメッセ−ジしようとしていたのでしょうか?それはあの揺れが決してヒトゴトではなく、我々一人一人につながった悲しみであり、そして痛み、苦しみであると教えているようでした。


 仏教は慈悲を説く宗教だと言われています。もしあなたが他人の痛みに共感し、その人の為に、何かをせずにはいられなくなったら、あなたはその時、世の苦しみの音を観く事が出来る観世音菩薩であり、そして見ず知らずの人の苦しみを少しでも共有し、その人と同じ地盤に立ち、寄り添う事が出来たなら、あなたは既に地蔵菩薩と呼ばれるでしょう。
 昨年は大きな自然災害が次々に起こりました。史上最多の10個もの台風が日本本土へ上陸し、多大な被害をもたらし、又10月には新潟県の中越地方を襲う大きな地震がありました。そこで今まで行ってきた托鉢の浄財等を合わせ、43,082円を日本赤十字社を通じ、新潟県中越地震の災害義援金として昨年11月にお送りする事が出来ました。
 そして昨年末にはインドネシアのスマトラ沖で発生した地震の大津波により、インドネシアのアチェ州を中心としたインド洋沿岸の国々で、なんと30万人(1/26現在)という大勢の人達が犠牲になったと伝えられております。かつて私が修行した南方上座部仏教の多くの国々も被災をしました。彼らもまた私たちと同じように、仏の教えを信仰する人たちです。その彼らが、今私たちの援助を待っております。勿論、我々の援助は宗教の違いや国という枠組みを超えてなされなければなりません。


 昨年我々が新潟中越地震の義援金勧募の托鉢をしている事を知った数人の方から義援金として浄財が寄せられました。そこで今回のインド洋大津波の被災者への義援金は、ご縁ある皆さんへもお声を掛けて勧募したいと思っております。
 かつて私がタイ国の僧院にて修行していた時に、長年続く虐殺と内戦から逃れて来た多くのカンボジァ難民が収容されていたタイ国のカオイダン難民キャンプを訪ねた事がありました。そこで難民の救援を目的に、地道に活動をしている「曹洞宗国際ボランティア会」の事を初めて知りました。今回の義援金は国際ボランティア活動に実績がある(社)シャンティ国際ボランティア会(旧曹洞宗国際ボランティア会)[HP…http://www.jca.apc.org/sva/]を通じお送りしたいと思っております。


 左の写真のように玄関の下駄箱の上にタイ国で使用していた托鉢用の鉄鉢を用意しました。用事があって寺へお出でになり、もしご協力頂けるならこの中へお入れ下さい。皆さんの無理のない、そして無記名でのご協力をお待ち致しております。
 既にインド洋大津波の被災者への義援金勧募は終了致しました。 3月2日(水)多くの皆さんより寄せられました義援金と、托鉢の浄財と合わせた金額40,105円を(社)シャンティ国際ボランティア会を通じて被災地へ送らせて頂きました。ご協力頂き誠に有り難う御座いました。


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