平成17年3月30日

 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、お彼岸が過ぎると徐々に寒さも和らぎ、春らしくなって参ります。当初、今年は暖冬だと言われておりましたが、何度も寒波が襲来し、また雪も多く寒い冬でしたのでホッとしております。特に私など二度も風邪を引いて、朝のお勤めをたくさん休んで仕舞いました。
 この冬は、温かい布団から出るのがとても辛く億劫な朝があったかと思えば、さほど寒さを感じないで、すっきりと布団から出られた朝もありました。
 その日の朝は割と温かく、あまり寒さを感じない日でした。早速顔を洗い、衣を着替えて本堂へ赴き、何気なく柱に吊るしてある温度計をみると、本堂の気温がなんと氷点下になっているではありませんか。幾ら天井が高い本堂だと言っても、廻りをアルミのサッシでチャンと密閉してあるので、赤城下ろしの吹く寒い日でも、室温が氷点下になる事など滅多にありません。ところがその朝は温度計が氷点下を指しているのです。温かい朝だと感じていた私は、それを見て急に寒く感じ、ストーブの設定温度を最大にして朝のお勤めを済ませたのでした。
 起きた時は、さほど感じなかった寒さを、本堂の温度計を見た途端に、寒く感じたその朝はいったい寒かったのか?或いは温かな朝だったのか、果してどちらだったのでしょうか。


 これは統一新羅が朝鮮半島を治めていた時代のお話です。統一したばかりの新羅の国では、隣の大国である大唐国の干渉や、侵略を恐れ、国境を封鎖する鎖国政策を採っておりました。さらに国内では仏教が厚く保護され、今日の韓国を代表する多くの有名寺院が建立され、又国の隅々まで仏の教えが行き渡り、仏教が大きく花開く時代でもありました。この時代に朝鮮仏教史に大きな影響を及ぼした元暁(ガンギョウ)というお坊さんがおりました。
 若い時から元暁は大唐国へ入って本格的に仏教を学びたいと思っておりましたが、当時、新羅の国は鎖国政策を採っており、このままでは自分の夢が叶いません。そこで元暁は国禁を犯し、唐の国へ行く事を決意したのでした。勿論昼間の移動は、国境を警備する役人に捕まる可能性があるので、夜中に山道を移動し、昼間は人目の付かない場所で休みながら大唐国を目指したのでした。
 歩きづくめに歩いて来た元暁は、疲労困憊し、近くの洞窟で休む事にしました。水も飲まず必死になって歩いた元暁は、急に喉の渇きを覚えたので、眼を凝らして薄暗い洞窟の中を見回すと、何やら水溜まりがあります。触れてみると確かに水です。そこで元暁はその水を両手で掬いゴック〜ン、ゴック〜ンと実に美味しそうに飲んだのでした。その夜はすっかり安心したのか、久しぶりに両足を伸ばして休みました。


 翌日洞窟の奥まで差し込んで来た陽差しに元暁は、心地よい眠りから目覚めたのでした。既に故郷から遠く離れ、唐との国境はこの山を越えれば直ぐそこです。しかし明るい時に国境を目指して移動すれば、忽ち役人に捕まって仕舞います。元暁ははやる心を抑え、暗くなるまでの間もう少し休む事にしました。
 その時、昨夜は薄暗くて気が付かなかった水溜まりの中に、フッと目をやると、髑髏(シャレコウベ)が沈んでいるではありませんか。そこは幾体もの遺体が葬られた大きな塚の中だったのでした。昨夜飲んだ水も、実は塚に浸み込んで出来た水溜まりだったと知った元暁は、急に吐き気をもよおして仕舞いました。昨夜は何とも思わず、実に美味しく飲んだ水が、遺体を葬った塚の水だと知れると、二度と再び飲む事が出来ませんでした。
 その時「すべては因縁より生じる」と悟った元暁は、あれほど恋焦がれていた大唐国へ赴く事をサッサと止め、踵を返えし新羅の国へ帰って仕舞ったのでした。その後の元暁の活躍はめざましく、仏教経典の研究に卓越した業績を残し、また多くの素晴らしい弟子を打ち出したりと、朝鮮仏教史に燦然と輝く足跡を残されました。
 同じ日の朝でも、温度計を見る前には「今朝は割りと温かい」と感じていながら、温度計を見た為に、急に「寒く」感じ、私の寒暖の感じ方が全く異なって仕舞うのです。またその時には美味しく感じた水も、ひとたび遺体を葬った塚に浸み込んだ水だと知れると、二度と飲めなくなって仕舞ったように、全く同じ世界でも、我々の一寸した見方の変化で、違った世界になって仕舞うのでした。


同じ世を  心一つで  住みかえて
                鬼も仏も  我が心なり


と世語にもあるように、逆に苦しく辛い時でも一寸した見方の変化によって楽になる事も出来るはずです。  丸いコップに水を注げば水は丸くなり、四角い器に水を注げは四角にもなります。そのように器に応じて変化をする水ですが、固まって氷になれば、器にしたがう事が出来ません。同じように我々のかたくなな思い込みや、こだわりの心を水のように溶してやれば、もっと自由に生きられるのかもしれません。


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