平成10年8月18日号

 今年も蓮の花を、おせがき棚に供えようと、昨年蓮の花を譲って貰った家を尋ねたところ、池は、すっかり埋め立られており、残念ながら蓮の花は一本もありませんでした。今年はそんな訳で、花屋さんにたのんで蓮の花を求めました。やはり蓮の花がないと、何となく寂しく感じます。それは、お釈迦さまがお生まれになった時、ルンビニー池の蓮の花が突然七つ咲いたと仏典が伝えているからでありましょうか?又昭和天皇も、お亡くなりになる前の年、つまり昭和63年の夏に、次のような歌を残されています。
『夏たけて 堀の蓮(はちす)を 眺(なが)めつつ 仏の教え 思う朝かな』と、そのように仏の教えと蓮の花とは、何か深いつながりがあるようです。



◆泥沼(どろぬま)に咲く花

 平成4年11月、恩師である酒井得元老師に随って、お釈迦さまの故郷であるインド を尋ねた事がありました。その時、インドに何度も来ているという日本の添乗員から『インドの川には、ほとんどの場合、堤防がないんです』と聞かされ、びっくりした事がありました。
 日本の場合は、ほとんどの川で、高く堤防を積み上げています。近くを流れる渡良瀬川でも、利根川でも、矢場川でさえもチャンと堤防の護岸工事がしてあります。もし堤防がなければ、大雨によって増水した川から、いつ水が溢(あふ)れ出て仕舞うかも判りません。戦後のキャサリーン台風の時もそうで したが、護岸工事がチャンとなされていなかった昔、我々は本当にひどい目にあっていました。勿論、日本の川が山から急に海へ注ぎ込むように、平野が少ないという地形的な問題もあります。『川を治めた者が、国を治める』と昔から言われており、戦国時代の武将、武田信玄が治水した富士川の支流の釜無川(かまなしがわ)と御勅使川(みだいがわ)の信玄堤(しんげんづつみ)などはつとに有名です。
 それに対して、何故インドの川では、堤防を築かないのかといえば、春・夏・秋・冬という四季がある日本とは違い、インドには雨期と乾期という二つのシーズンしかありません。我々がインドヘ行ったのは、雨があまり降らない乾期だったのですが、雨期になると、ザァーとバケツの水をひっくり返したように、雨が降るというのです。もし川に堤防があると、平地に降った雨が中々流れ込めずに、あたり一面、水浸(みずびた)しになって仕舞います。そこで雨水がどこからでも流れ込めるように、川に堤防を築いていないといいます。日本の川が水を外へこばさないように、堤防を築くのと違い、インドの川では、平地に降った雨が、川の中へ流れ込めるように堤防を築いていないのです。それでも平地に降った雨水がどこへも行けず、たまって沼になった所が、あっちこっちにあり、その沼に、赤や黄色、白色の花が咲いていました。バスの車窓から、目を凝(こ)らして見てみると、その花は色とりどりに咲いたインド蓮でした。その時私は『あぁ!インドの国はなんて蓮の花が似合(にあ)う所なんだなぁ』と、深く感激したのでした。
 日本でもそうですが、蓮の花は、水が滔々(とうとう)と流れる川や、ワサビが育つような綺麗(きれい)な清水には咲きません。どちらかと言えば、水が淀(よど)んだ沼とか、お城を囲む堀とか、池などに咲く花です。
 法華経(従地湧出品)というお経の中に『世間の法に染まざること、蓮華の水に在るがごとし』とあります。蓮の花が、あまり綺麗でない沼とか、堀とか、池のような所で生育しながら、決して泥水に 染まらず、美しい花を咲かせるように、我々もこの娑婆世間に生きながら、決して世間の法に染まる事なく生きなさいというのです。娑婆世間は、耐え忍ばなければならない所という意味で忍土(にんど)とも呼ばれています。人生には、逃げ出したくなる程、辛く嫌な事があります。しかし蓮が、水の淀んだ泥沼(どろぬま)にしっかりと根付いて、美しい花を咲かせるように、我々にもこの娑婆世界にしっかりと腰を落ち付かせ、坐(すわ)りなさいとも教えているのでした。
『波の音 聞くのが嫌(いや)で 山住まい 声色(こわいろ)変える 松風の音』という道歌があります。海辺に住むある人は、ザッザッザーという波の音をうるさく感じ、波の音が全く聞こえない山の中へ引っ越して仕舞ったというのです。暫くするとそこも、風に揺らぐ松のザワザワザワーという音が気になり、騒がしくなったという浅はかな人間性を詠んだものです。今、我々は自分に与えられたこのいのちの現場に、チャンと腰を落ち付かせ、坐らなければ、どこへ行っても、落ち付く場所はなさそうです。



◆他は是れ吾にあわず

 若き道元禅師が、真実の道を求め、当時の宋の国(今の中国)の天童山(てんどうざん)という寺で修行していた時の事です。禅門では料理を作る係りを、典座(テンゾ)と言います。道元禅師は、そこで、ある年老いた典座和尚さんとの出会いにより、目の覚(さ)めるような、大きな気付きがありました。
 それは風もなく、そしてうだるように暑い昼下がりの事でした。お昼の食事を済ませた道元禅師は、汗を拭(ふ)きながら、本堂へとつながる廊下の階段を静かに歩いていると、本堂前の中庭で、年老いたその典座和尚さんが、たった一人でゴザの上に椎茸(しいたけ)を干(ほ)しておられる姿が目に入りました。典座和尚さんの腰は、弓のように曲がり、白いものが混じった眉毛(まゆげ)は、まるで鶴の羽のように垂れ下がり、頭に笠もかぶらず、手に持った竹の杖で、やっと体を支えているように見えました。ジリジリと照りつけている真夏の太陽は、丁度真上に上り、三和土(タタキ)の庭からの照り返しも強く、全身から汗が流れ出ていましたが、典座和尚さんは一所懸命、椎茸を天日(てんび)に、干しておられたのでした。
 典座和尚さんのその様子が、少し辛らく、苦しそうに感じられた道元禅師は、中庭に降り、典座和尚さんのそばに行き、
『和尚さま!年齢はお幾(いく)つになられますか?』と、尋ねられました。すると、典座和尚さんは、手を休め、道元禅師の方を向かれ、『わしの年かね?わしは今年で68才じゃよ』と答えられたのでした。平均寿命80才時代の現代でこそ、68才と言えばまだ若いと思われるでしょうが。これは800年も昔の事、当時の平均寿命は50才にも満たなかったと思われます。それこそ68才と言えば大変な高齢でありました。
 その時道元禅師は、そのようにお歳をめされた人が、どうしてそんな煩(わずら)わしい料理を作る典座のような役を勤められるのか?とても不思議に思われたのでした。当時、日本の大寺院では、料理を作る役目は、寺の使用人か、見習い中のお坊さんが勤めるものであって、お歳をめされたそのような修行者がするものではなく、又そのような料理を作る事などは修行ではなく、本当の修行とは、お経を読んだり、昔の立派なお坊さんの伝記を学ぶ事であると考えられていたのでした。そこで道元禅師は、又尋ねたのでした。『どうして寺の使用人や、見習いのものを使って、おやりにならないのですか?』と、すると典座和尚さんは若き道元禅師に『他は是れ吾にあらず』と、ピシヤリと言われたのでした。「他人がした事は、私がした事ではないんじゃよ」という事であり、それはとりもなおさず「誰も代わる事の出来ない、これは私のつとめなんだよ」という意味であります。本当はこれ大変な言葉なんです。



◆誰(だれ)も代(か)わる事の出来ぬこの人生

 誰でも大なり小なりの荷物を背負ってこの人生を歩いています。その荷物は仕事の問題であったり、或いは人生の問題、生き方の問題、夫婦の問題、近所付き合いの問題、子育てや進学の問題、健康や老後の問題等であったりします。時には一つだけではなく、二つ、三つと複合的に荷物を抱え込んで仕舞う事もあります。漂白行乞(ひょうはくぎょうこつ)の俳人、種田山頭火(たねださんとうか)に
『背負いきれぬ 荷物振り分け 前後ろ』という句があります。
それは少年期における実母の自殺、妻との離婚、借金、そして二度にわたる自殺未遂等というたくさんの荷物を背負いながら、それでも歩き続けた山頭火自身の句であります。そのままではとても背負いきれない荷物を、彼は前と後ろに振り分けにして、歩いたというのです。
『肩の荷も ドラマと思えば 軽くなる』という川柳があります。
それは人生という自分が主役を演じるドラマで、今担いでいるこの荷物も、自分の役を飾る小道具だと思えば軽くなるというのです。
 そしてこれは雪の多かった今年2月の長昌寺の掲示版に書いたものです。
『我が物と 思えば軽し 笠の雪』 払(はら)っても払っても積る雪、しかし縁があって私の笠の上に積もった雪であったと、受けとめられゝば、うっとうしい雪も、軽くなるというのです。
 そこを、典座和尚さんは『他は是れ吾にあらず』と言い「誰も代わる事の出来ない、これは私のつとめなんだよ」と我々に教えられたのでした。
 しかしここで充分に、我々が注意しておかなければならない事は、決して他から、無理やりに押しつけられた、見覚えのない荷物であったり、又不当な扱(あつ)かいによる配役であってはならないという事です。どこまでもそれは、この老典座和尚さんのように、自分自身の主体的なつとめでなければなりません。



◆NHK特集『雪の永平寺』

 その後中国より帰られた道元禅師は、さっそく料理を作る『典座』の重要さを説かれた『典座教訓』という書物を残されています。その冒頭に『料理を作る典座には真実の道を生きようと、長〜い間修行した高徳の人が、昔から勤めて来た大切な職務である』と述べています。ですから、今でも永平寺では、典座に配属される事は、とても名誉な事であり、誰でもが一度は典座を勤めたいと願うのでした。私も永平寺に登って2年目の昭和52年の冬、やっと願いが叶って典座の係りに配属となりました。
 御存知の方もおられると思いますが、当時のNHKのテレビで『NHK特集』という番組がありました。『NHKスペシャル』の前身の番組です。これで『雪の永平寺』(昭和52年3月放送)という特集番組を放送したんです。これは後にテレビのドキュメンタリー部門で最高の賞である『イタリア賞』を受賞し、大変評判になった番組でしたが、実は私もその『雪の永平寺』の中に映っていたんです。何をしていたかと言いますと、永平寺の台所の片隅で、沢庵切りをしていたんです。そこにナレーター氏がやって来て、このように解説するんです『ここには、朝起きてからズウーット沢庵ばかりを切っている不思議な人々がいます云々・・・・』とね。
 それから何カ月が経(た)ち、田舎の師匠の寺へ一時帰った時の事です。あるお檀家さんから『永平寺の修行があまりにも厳しくつとまらないので、今は、食事当番をやらされているんだって?』と、言われた事があります。
 道元禅師が、料理を作る『典座』は実に大切な役目であると感じられ『典座教訓』を示されて800年近くが経つのに、料理を作る事はそれほど大切な修行ではなくまだ『片付け仕事』のように一般にはまだ思われているようです。



◆世間(せけん)のものさし仏のものさし

人生には色々な配役があります。テレビのドラマであれば、スポットライトを浴びる主役だったり、主役を影で支える脇役だったり、つまらないただの通行人だったりします。そして私も勿論そうですが、誰でもがこの人生で、スポットライトを浴びる主役になりたいと思う訳です。ところが極楽浄土の阿耨達池(あのくだっち)という池に咲く蓮を描写した経典には『黄色黄光(おうしきおうこう)、赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、白色白光(びゃくしきびゃっこう)』と書いてあるんです。それは黄色の蓮の花からは、黄色の光を放ち、赤色の蓮の花からは、赤色の光を放ち、白色の蓮の花からは、白色の光を放ち、そしてその他無量種の色の蓮の花からは、無量種の色を放って、それぞれ光り輝いているというのです。

 人生のそれぞれの配役を、人間のものさしで見れば、我々がテレビドラマを観る時のように、主役と脇役と、そしてつまらない通行人と映りましょうが、仏さまのものさしで見れば、どんな配役であっても、みんな阿耨達池(あのくだっち)の蓮の花のように主役としてスポットライトを浴び、光り輝いているというのです。
 誰も代わる事の出来ないこの自分の配役を、しっかりと引き受けて生きる事が、この娑婆世界におけるける我々の修行であり、その時には、泥沼の蓮の花が美しく咲くように、我々も光り輝くというのですから、これはもう我々が、死後に行くという極楽浄土の話ではなく、しっかりと腰を落ち付かせ、坐(すわ)ったこの娑婆(しゃば)世界が、即ち極楽浄土であると証明をしているのでした。


雨やどり


無題    一読み人知らず-

冬か来ると夏がいいと言い、夏が来ると冬がいいと言う
太るとやせたいと言い、やせると太りたいと言う
忙しいと暇になりたいと言い、暇になると忙しい方がいいと言う
自分に都合のいい人は善い人だとほめ、
自分に対して都合が悪くなると、悪い人だとけなす、
人間は元来身勝手なものだが、此れが過ぎると鼻持ちならぬ高慢心となり、独善他批(どくぜんたひ)のわがまま根性となる
カサカサに乾ききったあじけない今日この頃、昔の人情にしっぽり濡れてみたい、
衣食住は昔に比べりや極楽だが、
隣を眺めて、不平不満の愚痴ばかり、
どうして自分を見つめないのか、
静かに考えて見るか良い、
つまらぬ自我執着を捨て、得手勝手を慎んだら、世の中はきっと明るくなるだろう。


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