平成13年11月12日号
 去る9月11日の朝、乗っ取られたアメリカの民間航空機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込み、そこで働く会社員や、彼らを助けようとした消防士等、約千人という人達が崩れ落ちるビルとともに瓦礫の中に埋まって仕舞いました。この映像を見せられ、強いショックと憤りと怒りを覚えたのは決して私だけではないと思います。
 そのテロから一月後今度はアメリカが、今回のテロ事件の黒幕と思われるイスラム教原理主義者オサマ・ビンラデイン氏の身柄の拘束と、同じイスラム教原理主義勢力であるアフガニスタンのタリバーン政権の崩壊をめざして、大規模な空爆をはじめました。この空爆でアフガニスタンの罪のない多くの人達が死傷しています。
 又パキスタンやフイリッピン等ではキリスト教の教会等を狙ったテロが発生し、多くの人達が犠牲になっています。
 怨みが怨みを呼び、復讐は益々烈しくなり、全く収拾がつかなくなって来ているようです。他にもイスラエルとパレスチナ、又東チモールの紛争等、宗教と民族が複雑に絡み合った不幸な殺戮が、何度となく繰り返されて来ました。


◆親族の蔭は他の何よりも勝っている
 仏教をお開きになったお釈迦様は我々に『怨(うら)みに怨みをもってすれば、ついに怨みの止(や)むことはない』と教えています。それにはこんな物語があります。
 お釈迦様の御出身であるシャカ族の国は、当時インドの大国コーサラ国の属国でした。新しくコーサラ国の王となった瑠璃(ルリ)王は、実の母親がシャカ族の出身でありながら、かってシャカ族から受けたはずかしめの事が忘れられず、怨みと怒りの炎を燃え上がらせていました。そこで国王になったのを機会に、象兵、戦車兵、騎兵、歩兵の四軍を集めさせ、シャカ族の都である迦毘羅(カビラ)城へ攻め込もうとしていたのでした。
 その事を知った仏弟子が、お釈迦様のみもとに行き、事の次第を詳しく申し上げると、お釈迦様は静かに座より立ち上がり、瑠璃王の軍隊が進んでくる道を先回りして、枝も葉もない一本の枯れ木の下で坐禅をしておられました。 そこへやって来た瑠璃王は車から降り、尊者を敬う作法にしたがって挨拶をし、お尋ねになりました。
 『尊者よ、枝や葉のよく繁ったニグローダ樹(ベンガル菩提樹の事、大きな木蔭を作るので緑蔭樹とも呼ばれている)のようなもっとよい樹があるのに、どうしてこのような枯れ木の下で坐禅をしておられるのですか?』と、するとお釈迦様は 『親族の蔭は他の何よりも勝っている(暑いインドでは木蔭で坐禅をします。同じように親族は、木蔭やオアシスと同じであり、人生の支えとなってくるというほどの意味)』と答えられたのでした。これを聞いた瑠璃王は『シャカ族は私にとっても親戚だ、シャカ族を攻める訳にはいかない』と思い、本国へ引き返して行ったのでした。
 コーサラ国の都へ帰ると『シャカ族から受けたはずかしめをお忘れになったのですか?』と瑠璃王をそそのかす家来がおり、瑠璃王は、又メラメラと怨みと怒りの炎を燃え上がらせたのでした。そうなんです我々だって、怨みや怒りの心を鎮めようとしても中々鎮める事なんか出来ません。回りで煽(あお)る人がいれば尚更です。そこで瑠璃王は再び四軍を集めて出兵したのでした。すると同じようにお釈迦様は枯れ木の下で坐禅をしておられ、前と同じ会話が交わされ、瑠璃王は又思い直し、兵を引きあげたのでした。


◆シャカ族の滅亡
 しかし、またしても家来にそそのかされ、三たびシャカ族を滅ぼそうと出兵したのでした。
 その時仏弟子で神通第一と言われる目蓮尊者が、お釈迦様のみもとに来て『瑠璃王が四軍を引いてシャカ族の都へ攻め込もうとしています。私の神通力をもってすれば、瑠璃王を、四軍もろともに他の世界へ投げ飛ばす事も出来ますが、いかが致しましょうか』と尋ねられました。
 しかし三度目には『他人の因縁はどうする事も出来ない』と観念されたのか、お釈迦様は目蓮尊者の申し出を断られ、ただ静かに坐禅されるばかりでした。
 瑠璃王の襲来を知ったシャカ族も四軍を集めて、瑠璃王の軍隊と対峙しました。シャカ族の陣営から瑠璃王の軍隊に向かって、盛んに矢が飛んで来ましたが、不思議な事に矢は瑠璃王の兵隊の頭髪に突き刺さるだけで、決して兵隊は傷付きません。
 瑠璃王はこのありさまを見て恐怖をいだき『シャカ族が本当に私を殺そうとしたら、私は死ぬしかない。すぐに本国へ引き帰そう』と言うと、かの、そそのかした家来が王の耳元で『大王よ、恐れる事などはありません。シャカ族はお釈迦様の教えによって不殺生戒(生き物を殺さない戒律)を守っているから、虫けらさえも殺しません。どうして人間を傷付ける事がありましょう。今攻撃すれば必ずシャカ族を滅ぼす事が出来ます』と進言するのでした。
 そこで王はシャカ族の都、迦毘羅城へと攻め込みシャカ族の人々を捕え、足だけを地中に埋めて、凶暴な象に踏み殺させたり、女性や子供達は、大きな穴に投げ込んで生き埋めにし虐殺したのでした。
 その時シャカ族のマハーナーマンという瑠璃王にとっても親戚すじにあたる男が、瑠璃王のもとに行き『私が水底に潜(もぐ)っている間は、シャカ族を決して殺さないで下さい。私が水から出てきたら王の思うままに殺して結構です。』と申し出たのでした。王が同意すると、彼は水中に入り、そのままいつまで経っても水中から出て来ません。不思議に思った王が水底を調べさせると、彼は頭髪を木の根に結び付け、既に死んでいました。その事を知った瑠璃王は『マハーナーマンは親族を愛していたからこそ自分の身を犠牲にしたのだ。シャカ族を攻めたのは間違いだった』とはじめて悔恨(くいうらみ)の心が生じたのでした。
[菅沼晃著ブッダの悟り(33の物語)を参照]


◆非暴力、不殺生の教え
 親族のシャカ族が攻撃されても、決して暴力(目蓮尊者の神通力等)にたよらず、只坐禅をしておられたお釈迦様の生き方は、我々の『やられたらやり返す』という人間のものさしからみると、何か卑怯(ひきょう)で、弱虫のような気がしますが、今日の終わりなき宗教や民族の紛争を目の当たりにする時、逆に尊く思えてならないのです。  シャカ族の不殺生の行為はあまりにも大きな犠牲を払って仕舞いました。しかし瑠璃王に『シャカ族を攻めたのは間違いだった』という深い悔恨の心を生じさせたのでした。
 又お釈迦様の教えられた不殺生・非暴力主義はインド独立の父マハトマ・ガンディーに受け継がれ、彼の非暴力に徹した行動は、宗主国であるイギリスの人々の心を動かし、祖国インドを独立に導いたという素晴らしい実例があり、決して絵空事(えそらごと)ではなかったのです。
 宗教と民族が複雑に絡み合い、怨みが怨みをよび、殺戮が繰り返されている今日、我々仏教徒は、お釈迦様の非暴力、不殺生の教えに、耳を傾けければなません。非暴力、不殺生を実践する事は、とても難しい事です。しかし難しいからこそ、この非暴力、不殺生に生きる事が、我々仏教徒の願いであり、一歩でも近づこうとする事が、我々仏教徒のつとめであります。

雨やどり
 下の文章はニューヨーク在住の音楽家、坂本龍一氏の9月22日付の朝日新聞『私の視点』(報復しないのが真の勇気)の抜文です。

(前略)ぼくは思う。暴力は暴力の連鎖しか生まない。報復をすればさらに凶悪なテロの被害が、アメリカ人だけではなく世界中の人間に及ぶことになろう。巨大な破壊力をもってしまった人類は、パンドラの箱を開けてはいけない。本当の勇気は報復しないことではないか。暴力の連鎖を断ち切る事ではないか。(後略)


◆あとがき◆
▼秋晴れの(平成13年)9月24日(月)長昌寺総代及び護持会役員総出により、観音堂に安置されている大般若経六百巻の曝書(虫干し)を行いました。この大般若経は、玄奘三蔵が7世紀、当時は仏教国、今はイスラム教原理主義タリバーンが支配するアフガニスタン等を経由し、インドより伝来した仏典です。これを物語にしたのが孫悟空等が登場する有名な西遊記です。長昌寺の大般若経は、今から300年以上も昔の延宝4年に印刷された物で、戦前まではこの大般若経の入った経箱を、寺世話人が担いで村内各家を廻り、住職がお経を転読し、無病息災、家内安全を祈願していました。尚この大般若経は昭和55年に足利市重要文化財に指定され、3年に一度、曝書を行っております。

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