平成14年1月1日号
 今年は永平寺をお開きになった道元禅師が、お亡くなりになって750回の大遠忌の年に当たります。道元禅師は鎌倉時代の始め、貴族の名門である久我通親(コガミチチカ)の子としてお生まれになったと言われています。当時久我通親は、土御門天皇の外祖父(母方の祖父)として内大臣となり、絶大な権力を持っていました。道元禅師は通親の後継者として、一族から大きな期待をよせられていましたが、13歳の春叔父の良観法印をたよって、比叡山に登り出家されて仕舞ったのでした。
 かつてお釈迦様が、シャカ族の国王である浄飯王のたった一人の王子としてお生まれになったのにもかかわらず、道を求めて出家されたように、道元禅師も目の前にある富や、名誉、権力には目もくれず、さっさと出家されて仕舞われたのでした。後に中国に渡り、如浄禅師という素晴らしいお師匠様と出会い、日本へその教えを伝えられたのでした。
 そして京都の権力には一切近寄らず、又鎌倉幕府の庇護の申し出もきっぱりと断り、越前(現在の福井県)という当時としては辺鄙(ヘンピ)な場所に永平寺を建立し、ひたすら坐禅をし、人材の育成に専念され、建長5年、54歳でお亡くなりになりました。それは丁度昨年のNHK大河ドラマで放映された『北条時宗』が生まれた頃でもあります。
 現在道元禅師の流れは曹洞宗という形で全国に15,000ケ寺の寺院があり、日本有数の教団になっています。これも道元禅師が権力や、名誉や、富に惑わされる事なく、辺鄙な永平寺にて静かに坐禅を続けられたからなのです。


◆あとがき◆
▼今年はうま年で、私の干支(エト)でもあります。大変昔の話になりますが、私の祖母が『うま年生まれの人は、働き者になるんだ、お前もシッカリと働き者になるんだぞ』と小学校へあがる前の私に話してくれた事がありました。当時はまだ耕運機も少なく、馬や牛が農耕の担い手でした。草ばかり食べ、働きずめに働かされる馬を見て『俺も馬のように、働かされるのか』と小さい私はチョット寂しい気持ちになりました。そしてあまり働き者でなく、どちらかと言えばものぐさな今の自分を思うと『うま年生まれの人間は働き者になるんだ』と言った祖母に、ちょっと申し訳ない思いがしています。祖母も私と同じく、うま年生まれでした。明治の人が誰でもそうであったように祖母も、馬のように働きずめの人生でした。その祖母が逝って、今年でもう43年になります。

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