平成14年8月1日号
 道元禅師が『筆海の真龍なりぬべし(最高の文人)』と褒めたたえた宋時代の大詩人に、蘇東坡(そとうば)居士がいます。道元禅師は蘇東坡の読まれた有名な悟道の詩偈、
渓声便是広長舌 (渓声は便ち是れ広長舌)
山色豈非清浄身 (山色豈に清浄身ならざらんや)転、結句略
を題材に『正法眼蔵渓声山色』一巻を説かれているほど彼に心酔しておられます。
 その蘇東坡は『唐宋八大家』に数えられるほどの文人であり、又官僚としても大変重用されましたが、敵対する官僚、王安石に追われ3度も左遷の憂き目にあっています。
 左遷された多くの人が、嘆き苦しみ、中には苦悶し、もだえ死ぬ人もいたといわれています。ところがこの蘇東坡は左遷された地で、地元の人々と交わり、日々を楽しみ、そればかりか彼の素晴らしい作品の多くがその地で生み出されています。政敵の官僚がその様子を知り、懲りないと見るや、これ以上ない最果ての地、南シナ海に浮かぶ海南島へと流されるのですが、彼はそこでも地元の少数民族と、うち解けて交際し、悠々自適の生活をしているのです。
『投げられた ところに坐る こぼし哉』という俳句があります。起き上がりこぼしはどんな所へ投げられてもスクッと立ち上がります。同じように蘇東坡もどんな所へ左遷されてもあまり嘆き苦しむこともなく、無理なくその地で自分の人生を楽しんでいるのでした。
 ドイツの小学校の教科書に「腰掛け」という物語があるそうです。これは、どのような職種に就いても、将来出世した時の腰掛けのようなもの、つまり仮の仕事だと言いながら、終にその目的も果たせず老いてしまうという譬え話だそうです。 我々は、そのように主体性のない幽霊のような腰掛け人生を生きるのでなく、縁あって頂いた務めならば、それがまさしく人生の生きる場なのですから、決して逃げる事なく、厭わず、蘇東坡居士のように左遷された場所であっても、悠々自適に生きようではありませんか。
 よく『逆境こそ、自分を成長させ将来の役に立つ時だ』等といいますが、そんな人間のものさしで作り上げた順境、逆境等という打算的で道徳的な考えではなく、あの松下幸之助氏もスピーチでよく引用していた『逆境も良し、順境も良し、要はその与えられた境涯を素直に生き抜く事』を大切にして生きたいものです。
 景気の下げ底宣言はされましたが、まだゝ不況は続きそうです。どうぞ禅の教えを大切にされ、御自愛下さい。

雨やどり
『思いこみの克服』金井輝夫   『北海道いのちの電話だより』
(前半略)一昨年所属する教会の創立百周年を記念して10数名で聖地を訪ねた。カイロからバスでシナイ半島に入り、目指すシナイ山麓から20キロほど離れたところで不毛の真っ只中にある粗末な寺院に寄った。30代半ばと思えるギリシャ正教のシスターが堂守りであった。彼女に愚かにも「あなたは2、3年したら国へ帰れるのですか」と尋ねた「いいえ生涯ここで奉仕させてもらいます。」と彼女は微笑みを浮かべて静かに答えた。深い感動を受けた。彼女がこのような逆境を甘受するとは到底考えられなかったからである。ここに神と隣人に仕える人生の可能性の見事な具現を知ったからである。

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