平成14年12月27日号
 今年も残り僅かとなり、この一年を振り返えってみると、世界各地で引き起こされたテロ事件や北朝鮮拉致問題等暗いニュースばかりが目につきました。そんな中で東京大学の小柴教授と島津製作所の田中さんの二人の日本人が同時にノーベル賞を受賞したという明るいニュースがありました。小柴教授は宇宙から飛来する素粒子ニュートリノを検出したという功績により、又田中さんはたんぱく質等の画期的な分析方法を開発した功績により、それぞれ物理学賞と化学賞を受賞されました。中でも田中さんは、島津製作所の一サラリーマンという事もあり、又その庶民的な人柄から一躍我々のヒーローとなりました。

 数日前、田中さんの生い立ちを紹介したテレビ放送がありました。実は彼の本当のお母さんは彼を産むと間もなくして亡くなって仕舞い、生後間もない彼は叔父夫婦に預けられたのでした。その時、今の母親である春江さんは実の三人の子供達を集め『この児が来た為に、お前達がほったらかしにされたと不平だけは言わないで欲しい』と言い聞かせます。しかし不平などなく皆仲良く育ちました。
  田中さんもその事実を全く知らずに成長し、大学へ入学する時、初めて春江さんから事実を知らされたそうです。しかし彼もそのショックから立ち直り、今では毎日のように故郷に住むお母さんへ電話を掛けているそうです。

 早速お母さんへ今回のノーベル賞受賞の報告をしに富山県へ里帰りをした時の事です。ニューヒーローである彼には多くのカメラマンが付いて廻っていました。彼がお母さんのそばに近づいた時、カメラのフラッシュが一斉にたかれました。すると彼はそのフラッシュの光がお母さんの顔に照らないように、両手で遮って『お母さん、大丈夫?』と優しく声を掛けているのでした。実はお母さんは眼の手術をしたばかりで、彼はその眼を気遣っていたのでした。そんな母親思いの優しさを垣間見た思いがしました。

 又既に亡くなっている父親の光利さんからも多くの事を教えられたと述懐しております。その父親は、鋸(ノコギリ)の目立て職人でした。それは鋸の歯をヤスリで一目一目研いでいく根気のいる仕事で、彼はいつも傍らでその父親の様子を見ていたといいます。
 今回の受賞は、がんの早期診断や新薬開発などに使われるたんぱく質などの生体高分子の画期的な分析方法の開発が評価されたからですが、そのたんぱく質などの生体高分子を分析する物質の開発はそれこそ気の遠くなるような試験の積み重ねだったといいます。それは鋸の歯をヤスリで一目一目研ぐという根気のいる父親の仕事をいつも傍らで見ていた田中さんだからこそやり遂げられた仕事でした。

 長昌寺では三年前より毎月お袈裟を縫う会を行なっております。参加者は布の持つやさしい風合いを味わいながら一針一針いとおしみながらお袈裟を仕上げて行きます。決してミシンで縫うのではなく、又直縫でもなく、一針づつ却針して仕上げて行く根気のいるつとめです。
 『世は無常なり』といいます。それは水の中を泳ぐ魚に決まった形がないように、すべてのものが変化し続け、何一つとどまっている物はないという事なんです。だからこそ私の今の呼吸は、今しなければなりません。何度も呼吸するのは面倒くさい言って、一発で呼吸を済まそうとしても所詮、無理な話です。
  『無常とは仏性なり』無常を生きるからこそ皆、仏になれるのだと、朝、鬚(ヒゲ)を剃っても、翌朝にはもう鬚が生えて、剃らなければならないように、朝、庭掃除をしても、翌朝には葉が散って、又掃かなければならないように、そしてお百姓さんが、畑の土の手入れの為一鍬一鍬、掘り進むように、我々も日々、新たに歩まなければなりません。
 『形が直(ナオ)ければ、影もまた端(タダ)し』そして我々には必ず影が付き従うように、我々の日暮らしもチャンと後に残って仕舞うのでした。あたかもそれはお袈裟の針目が後で見てチャンとわかるように、又畑の手入れの一鍬の深さによって、秋の収穫が決まるように、今の行為が後に結果として必ず現れて来るのでした。だからこそ我々には仏としての自覚の歩みが必要だと教えているのでした。
 誰もが仏教の目的は、スカッと一発大きな悟りを開く事だと考えています。しかし我が道元禅師は一発大きな悟りを開きなさい等と決して言わず、ただ『発心を百千万発するなり』お袈裟を一針一針軌道修正しながら縫い上げて行くように、我々の人生も日々目覚め目覚めて、軌道修正しながら歩みなさいと教えるのでした。
 仏教は、生き方の宗教だと私は思っています。ですから我々の日々の生き方が、いつでも問われているのでした。現在はややもすれば宝くじが当たるように、大穴を当てて楽がしたいという安逸な考えがはびこっているようです。コツコツとか、一つ一つとか着実に等という行為が疎かにされて来ました。

 永平寺をお開きになった道元禅師750回大遠忌の今年、鋸の歯を一目一目研いでいく父親の姿を見て、地道な生き方の大切さを教えられた田中耕一さんがノーベル賞を受賞された事に、とても因縁深いものを感じております。

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