お坊さんは有り難いという人へ

平成16年4月18日号

 一つには、功の多少を計り、彼の来処を量る。
 二つには、・・・・・・・・・・・・・・・。
 三つには、・・・・・・・・・・・・・・・。
 四つには、・・・・・・・・・・・・・・・。
 五つには、・・・・・・・・・・・・・・・。

 僧堂の中に響きわたる修行僧達の声、私が修行させて頂いた20年前と、チットも違うことなく、今朝も、僧堂では食事を頂く前の「五観の偈」が唱えられています。それは今から760年前に道元禅師が永平寺を開かれてから一日も休むことなくズッ〜ト繰り返されて来た朝の食事風景でもあります。
 「禅」と言えば、誰もが「悟り」を開くもので、もっと高尚で、爽快なものだと思いがちです。又「修 行」と言えば、雪の降る寒い中で滝行をしたり、火渡りの行をしたり、或いは不眠不休の「荒行」をする事 だと考えている方も居られるかもしれません。
 ところが永平寺での「修行」はこの何の変哲もない単純な日常生活の繰り返しに他なりません。そして道元禅師は、このような食事をとる事、大便小便をする事、顔を洗う事、食事を作る事など、何の変わりばえがしないこの日常生活以外の何処にも「真実の生き方」等あり得ないと説き、この食事をとる事、大小便をする事、顔を洗う事、食事を作る事などの日常生活を疎かにしない生き方こそが「悟り」そのものであり、それは仏様の修行という意味で「仏行」だと我々に教えらております。
 ですから修行僧は食事の時も真剣そのもので、何一つ疎かに出来ません。先輩の指導者から『今、手にしている食器を、お釈迦様の頭と思い、丁寧に取り扱いなさい』と、口喧しく、叩き込まれるのです。もし頭鉢(ズハツ)と呼ばれる一番大きな食器を落とそうものなら、忽ちに山門の外へ放逐されてしまうほどの厳しさがそこにはあります。



 日本で一番大きな修行道場である永平寺には、今春上山した修行僧を合わせると280人もの大勢の修行僧がおります。その修行僧達に、朝のお勤めの際、長昌寺お檀家の皆さんはご先祖様のご供養をして頂きました。
 そして今度は我々がそのお返しに、テレビカメラさえも入った事がない、永平寺で最も厳粛な場所である僧堂(修行僧が朝昼夕夜の四時の坐禅や食事、寝起き等の日常生活をする所)へ入って、修行僧に一椀の朝粥の施しをする「施主巡堂」をさせて頂きました。皆さん全員に内堂に入って頂きたかったのですが、5人までしか許可されなかったので、住職と、本参団の役員さんが代表して内堂を一匝し、修行僧に朝粥の「施主巡堂」をさせて頂きました。普段はお粥にゴマ塩、数切れの沢庵だけなのに、この日だけは各々に一皿、僅かな供養の品が添えられておりました。



 修行僧のお食事を作る典座寮(永平寺の台所)の最高責任者である典座和尚さん自らが、禅門で最高の崇敬の法である『九拜』(九度、五体投地の礼拝をする事)によって、僧堂へとお食事が送られている様子を皆さんもご覧になったと思います。『九拜』をする事は仏様にご供養する事と同じ方法なんです。そこでは修行僧をチャンと仏様と位置付けてご供養しているのです。
 ですから「施主巡堂」する我々も僧堂の中へ入ると、まず身を投げ出す五体投地の礼拝を行い(本来は施す者全員で行うのですが、場所の関係で今回は私だけが行いました)。そして腰を90度近くに曲躬しながら僧堂内を一匝しました。世間であれば、物を貰い、頂戴する方がへりくだって平蜘蛛のように頭を下げるのに、ここでは全く逆で、施しをする我々が悦んで頭を下げているのです。ここに「布施」の本来の姿があるような気がします。



 今回大切なご先祖様のご供養をして頂き、参加された皆さんがとても有り難かったとおっしゃって下さいました。それは我々の御先祖様につながる道元禅師様の居ます大本山永平寺だったからかもしれません。今までに見た事もない程の大勢の修行僧にご供養して頂いたからかもしれません。それがまだあどけなさの残 る若い修行僧だったからかもしれません。そして前日が四・九日(毎月4日、9日、14日、19日、24日、29日という4と9の付く日に頭を剃る事)で、修行僧の頭が青々と剃りたてだったからかもしれません。それらの全てが当てはまることと思います。しかし一番大事な事は、このように見えない所で四六時中、一時も休まず真剣に修行している修行僧に大切なご先祖様のご供養をして頂いたからこそ尊く、有り難かったのだと思います。
 20年前永平寺で数年間修行させて頂いた私が、今回皆さんと一緒に、修行僧へ「施主巡堂」させて頂けた悦びで胸がいっぱいになりました。そして「施主巡堂」で僧堂内を一匝している時、厳しかった修行時代の事やら色々な事が思い出され、何故か不思議と目頭が熱くなったのでした。縁あってこの長昌寺の住職をさせて頂いてから、私を育ててくれた永平寺へ、いつの日か檀家の皆さんをお連れしたいと念願しておりましたが、縁熟し、この度役員さんの多大なるお骨折りにより「本参団」として永平寺へお参りする事が出来、本当に感慨無量です。心より感謝を申し上げます。有り難うございました。


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