一度でも出家したいと考えた事がある人へ

平成16年8月10日号

 平成16年7月31日(日)長昌寺本堂にて各々の親族や、関係者等が見守る中、智禅兄、実参兄、専一兄3名の出家得度式が厳かに修行されました。彼ら発心人3名は、この度仏縁が熟し、剃髪染衣の志しを生じ、今年の4月より私のもとで出家の心構えを学びながら、雲水用具の調え等の準備を進めて参りました。
 出家得度式とは、お釈迦様や十方三世一切の諸仏や諸菩薩の御照覧のもと、仏弟子として新たな人生のスタートをきる厳粛な儀式です。菩薩としての誓願をし、墨染めの衣を纏い、お袈裟を頂戴し、お釈迦様から伝えられた御戒法授かり、仏法僧の三宝に帰依する事は、何にも増して尊く、この上ない慶び事でもあります。
 これはお釈迦様が、祇園精舎で大勢のお弟子達とご修行されている時のお話です。ある男(酔婆羅門)が酒に酔って、お釈迦様の所にやって来て、何を思ったか「私も皆さんと同じように比丘(僧)になりたい」と言い出したのです。するとお釈迦様はその酔っぱらった男の願いを聞き入れ、そばにお仕えする阿難尊者に命じ、その男の髪の毛を剃り、お袈裟を着せて仕舞いました。時間がたって、その男は酔いが醒め正気に戻り、自分の姿が比丘(僧)になっているのにビックリ仰天し、お釈迦様の元から逃げ帰ってしまったのです。その様子を見ていた弟子の比丘(僧)が不思議に思い、お釈迦様にお尋ねになられました。
 「お釈迦様はどうしてあのように酔っぱらった男の願いを、お許しになり比丘(僧)になされたのですか」と、するとお釈迦様は「あの男は、無量劫というとても長い間、一度たりとも比丘(僧)になろうなどと思わなかった。しかし今回酔っぱらった勢いにより、わずかばかりの菩提心をおこした。この因縁によって、後の世に本当に出家し、真実に目覚めた生き方をするであろう」と授記し、予言されたのでした。
 そして我が道元禅師は、此の酔婆羅門の因縁話しをふまえ、次のようにお話しをされるのでした。『この婆羅門しばらくの出家の功徳、なほかくのごとし。いかにいわんやいま人間一生の寿者命者をめぐらして出家受戒せん功徳、さらに酔婆羅門より劣ならめやは』と、つまり「一人の人間が真剣に申し出て、出家受戒しようとする功徳は、酔った勢いで比丘(僧)になったこの男(酔婆羅門)の受ける功徳よりも劣るはずがないではないか」というのです。
 まして今回の発心人3名が、酔っぱらった勢いで出家を申し出た訳では勿論ありません。況んや今はやりのマインドコントロールされている訳でもないのです。今春、皆さんと一緒に大本山永平寺へ彼らも一緒に参拝し、雲水としての修行の厳しさもそれなりに心得た筈であります。そして申し出があった今年の4月より早朝の坐禅や勤行、行粥(朝の食事)など、この長昌寺で一緒に修行を致し、私も彼らが決して一時の思いで出家得度を希望したのではない事を知りました。ですから今回の出家得度の功徳により、彼らが必ず目覚めた人生を歩んでくれるものと確信致しております。
 彼ら3人はまだ修行僧としてスタートラインに立ったばかりです。どうぞこれからも彼ら3人を暖かくみまもり、育てヽいって下さるよう心からお願い申上げます。



『ご縁について』
智禅上座・・・昭和7年4月8日生れ。前長昌寺護持会々長、72歳、

 人生50年と言われた昔に比べて飛躍的に生存率が延びた現在ですが、それにしても古希を過ぎ、我が人生もそろそろ終点に差し掛かろうとする今、ご縁を頂いて得度させて頂こうとは夢にも思いませんでした。我ながら自身の心の変わり様に驚いているのが現在の偽らざる心境です。
 4月8日生れの私は誕生日がお釈迦様と同じと言うこと位で、世間一般の方と同じ様にお正月には初詣に出掛け、お盆にはお墓参りをし、クリスマスにはパーティに参加する等ごく普通の生活を送って来ましたが、この度のご縁を戴いて得度させて戴く事になりました。戦中派の幼い私が、お寺さんとお坊さんを意識したのは隣の群馬県にあるご先祖のお寺にお盆にお墓参りに行った時の事です。いま、お墓は草木ダムの湖底に沈んでありませんが、無住のお寺は湖岸に現存しております。幼い頃、母に連れられてそのお寺にお参りに行くとご年配のお坊さんが「よく来た、感心じゃ」と言ってお小遣いを下さいました。それが毎度の事なのです。
 お正月にお年玉を貰った位で小遣い等滅多に貰えなかった当時の私にとって余程嬉しかったのでしょう。ご先祖様のお参りに行けば何か良い事があると幼心に思えたのでしょう。その頃の事は今でもはっきりと記憶しております。ところでご縁とは不思議なものです。今回の得度について考えてみました。
 先にも申しました様に仏門に入るとは夢にも思いませんでしたがこれもご縁でしょうか?
 数年前、地区から推されてお寺の役員の末席に加えさせて頂きました頃には、長昌寺は単なる菩提寺と心得ていましたが、出務するうちに毎週早朝坐禅会がある事を知り、坐禅の何たるかも知らずに興味本意で参加した所、そこでご住職の法話を拝聴し、又ご住職を先生と慕って教えを乞う道友にも恵まれ、ほんの僅かずつですが仏道を意識しつつ現在に至りました。
 又、福田会(お袈裟を縫う会)もご住職のご熱意で早くも四年目を迎えましたが、生まれてこの方、雑巾一枚縫った事が無く、お袈裟の意義も良く弁えずにお袈裟くらい何とか縫えるだろうと、安易な気持ちで参加させて頂いた所これが大間違い。
 運針を始める前に坐禅をし、ご住職の法話をお聞きし、そして一針一針真心を込めて運針する事に深く感動致しました。と同時にここでも又、良き道友に恵まれ、彼と供に、現在よりも少しでも仏道を極めたいと思う様になり、皆様とご一緒に永平寺参拝を終わった頃、ご住職にご無理をお願いして仏弟子としてのご教授を頂いて今日に至りましたが、如何せん老骨の身、不肖の弟子として申し訳なく思っておりますが、宜しくご教導の程お願い申し上げます。
 又、何を今さらと思われる方も大勢いらっしゃるかと存じますが、師匠の名を汚さぬ様、精一杯仏道に励みますので何卒宜しく、ご指導ご鞭撻の程切にお願い申上げまして御挨拶とさせていただきます。    合掌



『小さな芽』
実参上座・・・昭和43年8月31日生れ、スポーツ店経営35歳

 30数年の私の人生は、多くの人達との出会いと、多くの人達によって支えられたものでした。そして今、感謝と、後悔の思いで一杯です。何故なら、私の心の中を静かに観察すれば、他人に優しく出来る素晴らしい心もあれば、逆に他人にはとても見せられないような醜い心もあります。それらの心に振り回されていたのが今までの私でした。
 何が正しく、何が正しくないのか、そしてどう言う生き方が良いのか私は長い間迷って来ました。
 托鉢や坐禅などの仏縁を通し、私の中に、言葉では説明が付かない何か知らない小さな芽が出て来ているのに気付きました。このありがたい芽を大切に育てて行きたいと思います。
 弱い私だから仏様のお力を借りて頑張ろうと思います。今まで支え育てて頂いた多くの人達に心から感謝を致すとともに、これからもどうぞ暖かく見守って下さい。ありがとうございました。



『恩師との出会い』
専一上座・・・昭和60年4月7日生れ、現在福島大学教育学部に在学中、19歳、

 今まで、私が一番仏様のご縁を感じたのは、数学の恩師のN先生との出合いです。
 私は今年の3月まで足利高校に通っていました。その足利高校の数学の先生には、教え方が上手な先生がいっぱいいて、ほとんどの先生が好きでしたが、その中でも、教え方が特に上手で、まだ若いからなのか、とても親しみやすく、生徒からも評判のいいN先生がいました。そのN先生には、直接半年ぐらいしかおしえられなかったのですが、とても好きな先生でした。
 しかし、私が3年になるとき、N先生が転任になることを知り、将来、数学の教員を志す私にとって、先生のアドバイスや教え方がとてもためになっていたので、とても残念でした。
 それからしばらくたったある日、父と高校のことについて話す機会があり、父は「最近足高はどうだ?」と聞いたので、「好きな数学の先生が、転任になってしまった」ことを私は話しました。
 その夜、父の友人が亡くなり、父はお通夜に行きました。その時、父は、亡くなった友人の息子が、最近まで足利高校の先生をしていた事を知らされたそうです。父からその話を聞かされた私は、もしかしたらと思い、父に亡くなった友人の名前を聞いてみると、その人は私の数学の恩師のN先生だったのでした。
 父は、先生のお父さんと一緒に何度か来たことがあったことや、私が小さいころ、家族と一緒に日本基督教団の教会のクリスマス会に行ったことがあったのですが、そのときにN先生も来ていたことなど知りました。
 これらの話しを聞いた時、先生と出会うべくして出会ったこの運命的なつながりを、私は仏様とのご縁だと思い、素直に感動したとともに、感謝したのでした。    合掌


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