出家は若い時にするもんだと思っている人へ"

平成16年12月25日号

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◆道元禅師からのメッセージ


    人生に定年はない

    人生に定年はありません
    老後も余生もないのです
    死を迎える
    その一瞬までは
    人生の現役です
    人生の現役とは
    自らの人生を悔いなく
    生き切る人のことです
    そこには「老い」や「死」への恐れはなく
    「尊く美しい老い」と
    「安らかな死」が
    あるばかりです

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 今年のカレンダーもとうとう最後の一枚となって仕舞い、どことなく寂しい思いが致します。今年は長昌寺挿草(開創)五百年を記念し、念願の永平寺へお参りをさせて頂いたり、4月の護持会総会には総代役員さんの改選があったり、7月には出家得度式、9月には3年に一度の足利市指定の重要文化財大般若波羅蜜多経六百巻の経典曝書(虫干し)があったりと色々な行事がありました。特に長昌寺開創以来初めて団参として永平寺へお参り出来た事は忘れられない思い出となりました。
 その永平寺吉祥閣の廊下に、高祖道元禅師様の750回大遠忌を記念して作成された『道元禅師からのメッセージ』と題された16枚のパネルが展示されておりましたが、その3番目に上記の『人生に定年はない』というメッセージがあったのを、皆さん覚えておられますか。
 「世間」には、その人のやる気や能力、人格に関係なく、ある年齢に達すると線引きをする定年制度があります。しかし「仏のものさし」で見れば、我々の人生には定年などありません。たとえば心臓や呼吸など一時も休まず、生涯現役で働いているのです。同じように我々も、お迎えが来る日まで、人生の現役として、自らの人生を悔いなく生き切る事が大切だというのです。
 これはお釈迦様が竹林精舎という所に居られた時の事、一説には年齢がすでに百歳を過ぎていたとも言われ、とても高齢な「福増(シリビダイ)」という名の長者が、出家をするお話です。年を取って出家し、若い修行者に混じって修行するなんて、とても我々には耐えられそうにありません。しかしこの老いた「福増(シリビダイ)」は、お釈迦様の「出家の果報には不思議な力があり、たとえきらびやかに光輝く七宝で、天を貫く高さの塔を建て、それによって得られる功徳よりも、出家の功徳の方が遥に大きく無量である」というお教えを聞いて、心を動かされ、自分も出家し、仏弟子となって修行したいという思いにかられるのでした。
 年老いた「福増」は、一族の者から多少厄介者扱いされていたのでしょうか。家族に相談すると、皆喜んで「それは良い事だ」と「福増」を家から送り出したのでした。
 さっそく「福増」は、お釈迦様がお住まいの竹林精舎に行き、お弟子の比丘達に「お釈迦様はどちらにおいでになるのでしょうか」と尋ねると、お釈迦様はあいにく布教の旅に出ておりお留守だというのです。そこで「福増」は杖をついてお釈迦様の一番弟子である舎利弗(サーリプッタ)尊者の所へ行き、杖を傍らに置いて礼拝し「どうか私の為に師となり、私を出家させて下さい」とお願いするのでした。
 舎利弗尊者が「福増」を見ると、大変高齢で、出家しても坐禅や托鉢等、修行者としての「つとめ」がとても出来そうに思えません。そこで舎利弗尊者は「汝(なんじ)はあまりにも年老いている。そのように高齢では出家させる訳にはいかないので、どうかお帰りなさい」と言って、出家をお許しになりませんでした。
 次に「福増」は、お釈迦様の高弟である摩訶迦葉や優婆離、阿兔楼陀等の五百人の大阿羅漢達を、次々に訪ね、我が為に師となり、出家をさせてくれるようにお願いするのでした。しかし五百人の大阿羅漢達からも、皆同じように断られて仕舞ったのでした。
 ここに至ってどうしても自分は出家を許して貰えないのだと知った「福増」は、竹林精舎の門の敷居の上に座り、大声をあげて哭いて「私は生れてこのかた、大きな罪過を犯したこともないのに、どうして出家を許して貰えないのだ。鴦崛摩羅(アングリマーラ)はたくさんの人を殺したではないか、(陀塞キ(ダソクキ)等)は大泥棒ではないか。こういう人達が出家を許されたのに、どうして私には出家を許して下さらないのか。いったい私にどんな罪があると言うのか」と言って、泣き崩れて仕舞いました。
丁度そこへ、布教の旅からお戻りになったお釈迦様が通りかかり「福増」に、「汝は、どうしてそんなに大きな声で哭いているのか」と、やさしくお尋ねになりました。「福増」は、はぐれた幼な児がやっと父を探し当て、喜び踊るように五体投地のお拝をして、今までの経緯を詳しくお釈迦様に申し上げたのでした。そして、 「私の家では、あまりにも私が年をとったので、私の言う事など誰も聞いてくれません。ですから家に帰っても、私の居る所がありません。そして今出家することも許されず、私は何処へ行ったら良いのでしょうか、もう此処で死ぬよりありません」と泣きながら言うのでした。
 その時お釈迦様は「私が汝の師となって、出家させてあげよう、だからもう心配することはない」と父が子を慰めるように話されるのでした。ここに「福増」はやっと希望が叶って出家を許されたのでした。
 お釈迦様は舎利弗尊者をはじめとする仏弟子達に「出家は縁に随ってするものであり、出家を志す者は、それだけの因縁を持っているのだから、出家の望みがあれば、師となって出家を許し、決して拒んではいけない』と諭されるのでした。出家には高齢だから許可しない、若いから許可する等というように年齢による線引きがありません。ですから誰でも真剣に出家を希望するなら許されるのでした。
 勿論出家すれば、それですべてが終了するという訳では決してありません。『出家とは生き方の事』ですから、私自身も含め、出家した後の生き方が問われるのです。
 ところで「福増」の場合はその後どうなったかと言えば、年若い修行者達の末席につらなり、昼夜に精勤修行し、ついには大阿羅漢にまでなったと仏典では伝えられております。
 今日世界一の長寿国になった日本、そしてこれからやって来る超高齢化社会の中で、お迎えが来る日まで、我々も人生の現役として、自らの人生を悔いなく生きていきたいものです。そこで百歳を過ぎてもなお出家を志した「福増」に、我々は生きる事の本当の尊さを教えられたような気がします。


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