長昌寺の開創は今から500年前の文亀3年(1503年)と伝えられています。それは足利将軍家の世継ぎ問題で、11年も続いた『大仁の乱』がやっと終わり、足利幕府の権威が徐々に失われつつある時代でした。そのような時に、臨済宗の僧侶、玄甫蔵主によって開創されました。
 玄甫蔵主は12年間の住職の後、永正12年(1515年)にお亡くなりになり、その後現在の浦和市大崎にある曹洞宗国昌寺の2世大雲文龍大和尚が大永6年(1526年)に晋住し、曹洞宗に改宗されました。大雲文龍大和尚は、朝廷に参内して、禅の宗要を説くほどの人物で、朝廷から紫衣と仏日金蓮禅師という勅賜号を受けました。
 その後、長昌寺は幾たびの火災に遭遇し、安政元年の25世意嶽道林大和尚以来、仮の本堂.庫裡のままでしたが、先住の30世大乗孝文大和尚の平成7年に本堂、庫裡等の伽藍を復興し、今日に至っております。


聖観世音菩薩と両野33観音結願札所
 長昌寺の中庭にある観音堂に祀られている観音像は大きさ1尺8寸、製作年代は不詳ですが、西国移両野33観音札所の結願所となったのが宝暦4年(1754年)となっていますから今から250年前にはこの長昌寺にあったと考えられます。
 観音さまは、人々を苦しみや災難から救い、願いを叶え、そして一人でも多くの人達を仏の道へ導こうとする『菩薩さま』です。また阿弥陀如来のお付きの菩薩として、人が亡くなった時には、西方極楽浄土からお迎えに来てくれる『菩薩さま』として当地では古くから深く信仰されて来ました。


聖観世音菩薩

両野33結願札所

大般若波羅蜜多経六百巻
 観音堂には大般若波羅蜜多経600巻が6箇の箱に入れておさめられております。
 延宝4年(1676年)印刷とありますから約300年前のもので、昭和20年頃までは毎年この大般若経の入った箱を村人が担いで、村内各家を廻り住職がお経を転読して、無病息災、家内安全を祈願しておりました。3年に一度、寺の役員総出によって大般若経は曝書(虫干し)されます。
 この大般若波羅蜜多経は、昭和55年3月22日足利市文化財保護条例により、足利市重要文化財として指定されました。


開山袈裟掛けの松
 ご開山様がお袈裟を掛けたと伝えられている『開山袈裟掛けの松』が中庭にあります。平成7年12月19日には足利市の天然記念物に指定されました。


地蔵十王絵図
 長昌寺地蔵十王絵図は慶応2年の春、長昌寺の25世意嶽道林大和尚の代に再表具し修理された事が記されておりますから、それよりかなり以前から当地の人々の信仰を集めていたものと推測されます。
 地蔵十王絵図は本尊のお地蔵様を中心に、十王が十本のお軸で描かれています。


四軸(左)

三軸(中)

四軸(右)

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