長昌寺に相談する

仏教の教えに「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義」というものがあります。

これは「百千万劫というとてつもなく長い間をかけ、そこで生まれ替わり、死に替わりしても、それでも会うことが難しい、この上ない尊い仏法に私は今、出会うことが出来た。今後はこの千載一遇の好機をのがすことなく仏さまの真実の御教えを正しく実践していきたい」という意味です。

我々が生まれてくること、さらにそこでこうした仏縁をいただくことは決して「当たり前のこと」ではありません。

そしてそんな私をこの世に送り届け、ありがたいご縁を結んでくれたのが、ご両親であり、またそのご先祖様です。つまり私が生きていることは、そんなご先祖さまが生きていることでもあり、私が生き続けることはご先祖様が生き続けることでもあるのです。

ご先祖様を供養していくことの意義や必然性も、そこにあると思うのです。

「私の人生」を本当の意味で成就させること。それがお寺で行えることです。

同時にそんなかけがえのない人生においても、様々な個人的不安や、問題、葛藤が伴います。永代供養、一般ご供養、法要、相続、遺産手続きなど、長昌寺では各種様々なご相談と、実際のお手伝いを承っております。

ご相談のみでも構いません。お気軽にお申し付けください。

永代供養

長昌寺の永代供養墓「安楽林」

長昌寺では「永代供養」を執り行っております。

最近聞かれるようになったとはいえ「永代供養」と聞くと、まだ少し戸惑いが感じられるのはなぜでしょう。

確かにこれまでは「ご先祖のために供養する、供養しなければいけない、供養はきっと良いことだ。」こうした「観念」が我々には強くあって、またそれは揺るがない約束事として、あるいは絶対的なものとして、我々の生活に横たわっておりました。

お寺や、お墓というのは、普段の生活に密接だったのです。

しかし時代は変わり、様々な生活様式が取り入れられるようになったことで、供養の仕方も変わりつつあります。

また供養というのは何も、ご先祖様に対して行うもの、そこでご先祖様に対して感謝することだけが目的なのではありません。どこか形式じみたものでもありません。

これはご先祖様と「同時」である私を供養することでもあるのです。そしてそれは今を生きる喜びとなり、明日を生き抜く力となり、私が真っ当に生き抜くこと、あるいは私の人生を成就することにつながるのです。

確かに永代供養は近頃支持を受ける供養方法の1つですが、それは昔とは違った「形」なのかもしれません。そこに戸惑いも感じられるかもしれません。

それでも、そこで行われていることに「違い」はありません。

みなさまの想いと、供養する者の存在。そこに仏道があるかぎり、それは「正しい行い」となるのです。

ここは田園地帯に囲まれた穏やかな「田舎寺」。眼目には三両編成のローカルな東武車両が走ります。そのような場所に位置する長昌寺の本堂にて、日曜日を除く、毎日の「朝課」でこちらの永代供養を行っております。

供養は本寸法の仏道修行です。永代供養がまさにそうです。形は変容しても、これからも大切にすべき「仏縁」であり、我々の生きる道なのです。

永代供養をご検討中の方も、そうでない方も、ぜひお気軽にご相談ください。

お墓のご相談

「お墓」はすでに亡くなった故人様のご遺骨を埋葬するための場所というのが通説です。

中にはこの「お墓」の意義に疑問を唱える方もいらっしゃいますが、そこには確かに故人様がいらっしゃいます。お骨になっても確かに我々と同じこの「仏」の世界にいらっしゃるのです。

お墓はそうした故人様の「おうち」でもあるわけです。

そのためお墓はこれまで最も支持されてきたご供養の仕方の1つです。そしてそれはこれからも決して変わることのない我々、「仏の生き方」なのです。

ここは田園地帯に囲まれた穏やかな田舎町です。そのような場所を故人様、そして何よりも皆様方のもう一つの「生きる場所」にしてみませんか。

相続、遺産手続き

長昌寺山内では、法律的な事務手続きをお手伝いする「法律事務所」を構えております。

司法書士、土地家屋調査士、行政書士などの国家資格を保有するエキスパートスタッフと提携し、遺産相続手続きや、遺言書作成などのお手伝いをしております。

他の事業所とは違い「お寺の人」だから、素直に安心してお話しできるという部分もあろうかと思います。

現在、相続や遺産のことで不安を持っている方はぜひお気軽にご相談ください。